どことなく「罪と罰」のあの青年を思い出させる
ジョーカーになってしまった優しく悲しい青年の話
実はバットマンシリーズをちゃんと見たことない私です。
そのため「ジョーカー」についてもぼんやりしたイメージしかなく
どことなく「IT」のペニー・ワイズに近い感じを抱いていた。
でも、この映画をみて「罪と罰」の青年の影を感じるように…
映画 ジョーカー~あらすじ
コメディアンとしての成功を夢見ながら
現実は雇われピエロとして苦しい生活を続けるアーサー
痴呆の母の世話をしながら必死に生きているが
「急に笑いだし、笑いが止まらない」という症状に悩まされ
精神薬への依存が強くなっていく…
気弱で優しい男、アーサーに振りかかる社会の暴力
- 少年達の集団には暴行され
- 同僚の嘘と裏切りで職場をクビになり
- 母の手紙には衝撃の内容が…
- 愛されたいのに拒否される
- 人を笑わせるつもりが、バカにされ笑い者にされる
そんな中で処方されている精神薬では
精神を保てなくなった頃
「きっかけ」となるある事件が起きる。
それは衝動的な行動だった、
でもそれは彼と社会に波紋を起こし広がっていく。
彼が信じていたものが全部裏返された時
彼が「悲劇だ」と思っていた自分の人生を「喜劇に」変える決心をする。
That's my life.
「面白い冗談を思いついた、でも君には理解できないだろう」
※以下、ネタバレ有の感想いきます
「いつも笑顔で、笑顔でいれば幸せ 」という呪い
母親が自分の行いを「正当化」するために
恋人に酷い虐待をされる息子にかけた「いつも笑顔で」という言葉
これがアーサーにとっては「人生の呪い」となった。
「突如笑い出して止まらない」症状に苦しんで
苦しんで精神科に通い精神薬でやっとなんとか社会生活を送ってきたのに
母親が掛けた呪いは、それが「呪い」だとわかった後でも
彼を苦しませ続ける(;;)
人は楽しいから笑うだけではない、
悲しいから笑う時だってある、
絶望して笑うしかない時だってある、
怒りや悔しさを隠すために笑う時だってある。
そして、素直な少年は「人を笑わせてハッピーにしたい」と
コメディアンを目指して頑張るが、
頑張るほど「周囲にあざ笑われる存在」になっていってしまうのだ。
この世の「笑い」の半分は悪意や嘲りかもしれない
この部分、なんとなく触れちゃいけない社会の闇を
グリグリと痛みを伴い穿りだしてくる映画です。
コメディアンの
- ドジな姿
- おどけた表情
- バカなことしてる姿
- 失敗して報われない姿
- 誇張された変な見た目
などを見て笑う、そんな笑いって世の中に溢れてる。
そこにはどこか「見下し」や「嘲り」の笑いが隠れている。
(いや、隠れてないで溢れているかも)
単純で反射的な笑いっていうのは
どこか人間の「優越感」や「欲」を刺激するものなんだろう。
幸せ・ハッピーな笑いというのは
相手を笑わすまでに時間がかかるものなのだ。
関係性も必要だし、じんわりと感情が動くから。
コメディアンが私たちの優越感や自尊心を満たすために
演じておどけてくれているのを
人は勘違いしてしまいがち。
笑わせてもらってるのにね。
「笑ってやった」と思っている人もいるかも。
人を笑顔にするって神様でも難しいレベルだぜ~
現に、この映画が描くように世の中
悲しみと憎しみが絶えないし、満ちている感さえあるもの。
北野武映画に似た「暴力」
何かの映画のインタビューで語った言葉で印象深いものがある。
「暴力っていうのは貧困やどん底にいる人たちに残された最後の娯楽」
暴力や銃で殺人を犯す前までは
誰も気にかけない存在だったアーサーが
「力」を得て、今までの人生を
「悲劇だと思ってたけど喜劇だった」というのは
どこか北野映画にも通じるものがあったなぁ…と。
愛されたかったのに愛されなかった
夢があったけど何者にもなれなかった
誰かに認められたいと思うと
最後はどんな手段を使っても「力」と「支配力」に
行き着いちゃうのかもね。
北野映画の場合は悲しみを痛みで誤魔化す感じが強いけど。
ホアキンの深爪
最後のシーンでアップになるから演出なのかもしれないけど
「アーサーが深爪」と思うと
凄いリアルな役作りだなぁ…とゾクっとしました。
でも、やっぱりヤツれても
シワシワでもホアキンの顔はアップになると
人を引きつける美しさというか魔力あるよね。