プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【深夜映画部】ペインレス~無痛症の子供を利用する大人たち

ペインレス(字幕版)

ペインレス(字幕版)

 

「無痛症」がまだよく知られていない時代にあった治療施設での

間違った治療の話かと思ったら・・・全然違った!

その内容はいろいろと驚きです。

 

 

どうも~酒と本と映画が好きなプロ独女みつまるです。

オープニングから子供の無邪気さと「他人の痛みがわからない」故の残酷さを

見事に表現した美しい映像にやられる作品です。

 

オープニングの少女2人ともペインレスの子たちかと思ってた・・・。

はじまりと終わりが炎で繋がっているのは

「スペイン内戦」の苦痛を表現しているのでしょうか?

 

はじまりは1931年にスペインのとある村で「無痛症」の子供たちが

多く発見されたところから・・・。

 

 

「無痛症」の子供たちを怖れ施設に隔離する大人たち

 

「痛みをまったく感じない」ことが

どうして「隔離」までしなければいけないのか?

しかも牢屋みたいな部屋に両手を自由に使えないよう拘束されちゃって・・・

 

無痛症の人が現在もいることは私も知っていました。

痛みを全く感じないため、

高いところから飛び降りたりして骨折しても

自分では気がつかなかったりするので

周りが気が付いた時は重症化していたりする。

こんなことを以前、無痛症の子を持つ母親が語っているのをテレビで見たのです。

 

私がその時驚いたのは、外部刺激だけではなく

腹痛や頭痛なども本人は感じないし気が付かないということ。

よく考えたら当たり前なんですが、このことを知った時すごく驚きました。

本人が体の異変や危険信号にまったく気が付かないことが命の危機に直結している。

 

だから「周囲がよく見ていてあげないといけないんだな」という認識だたのです。

でもこの映画では「無痛症の子たちが周りの人間も傷つける危険性がある」として

隔離してしまいます。

 

これが映画冒頭の2人の少女のシーンで描かれている「無痛症の危険性」なのです。

先天的に自分が痛みを感じないので、他人の痛みもわからないし想像できないのです。

「痛み=危険」この感覚がそもそも無いのです。

 

そしてこの映画で描かれる無痛症の子供たちは

体を傷つけるような行為を進んでやってしまい、

その行為を純粋に楽しんでいるかのように描かれています。

 

自分の身体をメスで切り刻んだり、

爪をはがしたり

腕にランプのオイルを塗って火をつけて炎を観察したり。

 

無痛症の子たちに論理で痛みを教えるというリハビリ

 

その施設ではじめは囚人ように、厄介者の隔離施設、または治療とうなの実験・・

そんな非人間的な扱いをされていた子供たち。

 

でもドイツから来た専門医により「治療」がはじまります。

感覚で「痛み」がわからないなら「論理」で教えるというのです。

「他人の痛み」がわかるように、社会に出て他人とうまくやっていけるように。

 

ある一定の効果は出ていたのですが

ひとりの少年だけはこのリハビリの効果がまるでありませんでした。

彼は無感情モンスターと怖れられる存在に。

 

無感情+無痛症の少年にあった驚異の才能

 

リハビリを受けてもまったく自傷行為をやめず楽しむ少年「ベルカノ」には

医師も驚く特異な才能があったのです。

 

痛みを感じない彼ですが

痛みの構造は理解していたのか?

麻酔なしで内臓疾患のある小犬の開腹手術をし

疾患臓器を摘出し縫合まで華麗にすごい速さでやってみせたのです。

しかもその間、犬は意識があるのに痛がったりしていないのです!

 

どんな天才だよ!

感覚で神経構造わかるの?!

しかも人間じゃなく犬のだぜ。

 

これが天性の才能なのか?

さいころから自身が痛みを感じないため

身近な動物を悪意なく解剖してきた結果かのか?

その辺はまったくわかりません。

 

ただこの才能は彼の息子に受け継がれていくのです。

 

スペイン内戦で利用される無痛症モンスター・ベルカノ

 

スペイン内戦のアカ狩りの影響で

施設にいた子供たちは無惨にも殺されてしまいます。

 

ベルカノの親友で恋していた隣の部屋の少女も

医師の投薬により安楽死させられます。

 

部屋の壁に開けた穴から少女の最後を見ていたベルカノは

この時少女を失い殺された怒りと悲しみで

「何がなんでも生きる」ために逆に医師をコロし生き延びる。

 

この施設で生き残った無痛症で「無感情モンスター」と呼ばれていた

ベルカノを大人たちは「アカ狩り用の拷問人」として利用することにしました。

 

痛みを感じないため

他人へ容赦なく拷問を加えられるから。

しかもベルカノは無感情モンスター故に惨い拷問も躊躇なくこなします。

 

でもあるとき、ベルカノは拷問部屋に運ばれてきた女に

昔の親友で恋した少女の面影を見てしまうのです。

そしてベルカノは女を自分のモノとして飼い

ふたりの間にやがて息子が生まれます。

 

しかし、子供は奪われ

ベルカノと妻は施設に閉じ込められ

葬られてしまうのです。

 

さんざん利用しといて、子供も奪って部屋の出入り口をコンクリかなんかで

ふさいじゃって・・・という極悪非道な政治側の人間たちよ。

 

このベルカノとベルカノの息子の

交差する人生の物語がこの映画で描かれています。

息子が主役よ。

 

ベルカノは無感情でも他人の痛みに無理解でもなかったんじゃないか?

 

感情をわかりやすく表現しないだけで

ベルカノは無感情ではなかったと私は思っています。

少女を交流するときは「笑顔」だったし

施設に隔離される際は母親を探して泣いていたし

自分で手術した犬をかわいがっていたし。

 

「怒り」もちゃんと看護師や周囲の大人に向けていたし。

論理で「痛み」を教えるリハビリでの反応が薄かったのも

彼が痛みを科学的にその仕組み・構造的理解をしたためではないでしょうか?

 

犬を無痛手術で救う優しさがあったように

拷問人としてとてつもない痛みを人に与えていた彼は

「他人の痛みがわからないから酷いことができた」のではなく

「自分がどのくらいの痛みを人に与えているのか」充分

医学的レベルで理解していたと思います。

 

生き残るため感情を捨てたように「アカ狩り」に利用されていましたが

それは大人たちへの復讐だったんじゃないかな?

 

激しい悲しみと怒りが非道な拷問を行う鉄の心に変わったんじゃないかな?

 

映画の最後にも

ベルカノに感情も愛情も痛みへの理解があることも

わかるシーンが出てきます。

 

感情を表現しないと「感じていない」と捉えられる

人は泣いている人を見て「悲しんでいる」と思うし

笑顔の人を見て「楽しんでいる」と思う。

 

喜怒哀楽を表現しないと「無感情」って思われちゃうのかぁ。

喜怒哀楽はちょっとオーバーくらいに表現しないと

他人には伝わらないんだってことはよく分かった。

 

人は「見えるモノ」をより信じる。

気をつけよっと。

感情を抑えて表現しないと誤解も大きくなっていくようだ。

 

感情が無い人間なんているわけねーだろ!

というツッコミで映画部感想日記をしめたいと思います。

 

では、また~☆

 

 

 

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