日本人の血が騒ぐに至るまでの「宝探しの旅」の始まり
こんな感じで「本当に価値あるモノ」への疑問からスタートしました。
前回(⑥)の続き
実際は「相対的・経済的価値でなはなく、不変の価値」を考え始めた時の続き
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ここで私は 逆に経済的・相対的な価値の方を見つめてみたのです。
その逆側に私が求める「不変の本物の価値」ってのが在るんじゃないかと思ったので。
世界が経済優先社会となって
拡大する貧富のエゲツナイ格差や
数字だけが肥大化する金融経済世界と実経済界の歪み
情報・広告戦略で拡大する幻想的価値
とか色々と思いを巡らしつつ、
アホな私は単純に「私が世界の富の多くを持つ超富裕層=経済・拝金主義支配層」
だったら「物の価値をどうコントロールするかな?」と考えてみたのです。
私が世界の富みの9割を占める極一部の富裕層のひとりで
今も貧富の差はエグイコントラストをみせ拡大してるならば…
- 一時的な快楽(欲求を満たすもの)で中毒性の高いモノ
- 欲を刺激し、欲に訴える消耗品
- 本質的な価値は低いが 幻想的価値を肥大化できるもの
って方に大衆の目を向けさせて
実は「本質的な価値あるモノ」から大衆・世間・社会の目を
反らして 経済を動かし己の富を肥大し続けるんじゃないかなぁ…と。
そんなことを考えていたら「!」ときたのです。
そうだとしたら、
私が探している「本質的に価値あるモノ=この世のお宝」ってのは
多くの人が「(金銭的)価値無し」「興味なし」
と思っている(思わされている)もので、
お宝はむき出しで、手が届く範囲に放置されてるんじゃないか!?と。
ここで私の宝探しのギアが入ったわけです。
そしたら、マジで多くの人から「価値無し」「興味なし」と思われているところに
面白いものがザクザクあったわけです。
この旅の中で「日本人の智恵すげ~、古代日本人の叡智やべぇ」となり
『日本人の血が騒ぐ』に至ったわけなのです。
(つづく)