「本当に価値あるモノって何だろう?」と考え始め
私なりに出た答えが
この世の富の大多数をほんの一部のひとが握っているならば、
本当に価値あるモノから人々の目を逸らし
本質的な価値は低いが幻想価値を膨らませて
「一時的に高価値に見せて」金回りをよくするんだろうな…と思い
じゃあ、この経済優先世界で「経済的価値あるものの逆側」に
本来の本質的価値ある「宝」があるんじゃね!?
しかも多くの人にとって「無価値~低価値」に思えるように置かれてんじゃね!?
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つまりは、その辺にあって誰でも手が届くけど
多くの人は興味を向けなし拾わないモノの中に「宝」がゴロゴロしている予感
経済的価値から見て「無」に等しいモノ…
この世界にある「本質的・普遍的かちある宝」ってのは
有形じゃなく無形のものだなって結論に至り、
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奪えないし、独占もできない「無形の智恵の塊」、
つまり古代からの叡智じゃないか!ってなったわけです。
「ピン!」ときたものを調べ、学びながら
今はカタカムナの解読にはまり
そこから古代日本の智恵の凄さ!に感動しちまったってわけです。
んで、カタカムナの示しを理解する為に
量子論についても同時に調べ始めることになったのさぁ。
そこから、「音の響き」にはじまり
日本の文化・伝統・儀式・習慣に残され継承されている
古代の叡智研究に行きまして、
今現在の私は量子論×古代神道 の面白い展開にワクワクしております。
では、次回から やっところさ【日本人の血が騒ぐ】本編に入ってまいります。
カタカムナに見る「音の響き」、日本人と音の関係…もの凄い事になってるよ~
(つづく)