言霊にふれたので「密教の世界」にも興味ある私としては
真言の力、それに読経や声明の独特な響きについても見ていきたいわけです。
祝詞やあわ歌にみる独特な和の響き×言霊という世界に触れたので
今度は仏教の方のお経×音の響きについて「ちょっと寄り道」
お坊さんがお経をあげてくれるのを聴いた経験って
みんな一度はあると思うのですが
「読む」というよりは「音の揺れと独特のリズムを伴う歌い方」
に近い気がしませんか?
しかも「お経を読む声は小刻みに揺れているのに、平たんな音(音階)」に聞こえる
独特な音の響きがそこにはありますよね。
この独特な読経の響きというのも
古代日本人が見つけてきた智恵と同じところから編み出されたものなのかもしれません。(いや、たぶん絶対にそうだよね)
「真言(真実の言葉)」がその力を発揮するために
人の意識と独特な音を使って表現されている、というよりは
現象化しているんだと思うんですよ。
※マジでこの本読んでから興味増し増しです
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「般若心経」とか短いし、奥深いから是非聞いてみてほしいっす。
密教に興味を持ち始めていた私も今回初めて知った「声明」という唱え方
これがまた非常に興味深いんです。
古代日本からの音感覚「カム界と繋がる音」「神や自然との交流のための音」、
その音の出し方に非常に似ているんです!
集団でおこなわれる「声明」が特に興味深く独特な世界なのです。
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【声明とは】
経典、聖典に節をつけて詠われるもの
集団で声明がおこなわれる時
その光景は我々が予想したものと大きく違ったものが現れる、という。
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「合唱」ではないのです。
音を合わせ、1つの大きな音にするのではなく
「個々の独唱の集合体」として多様な音が空間に響くのだそうです。
だから歌い始めもそろえる必要はなく
音の高さもフレーズもバラバラに個々の声明が入り混じり進行していくのです。
声明を集団で行う時、その目的は多彩な音・響きで空間を満たすことにある、という。
独特な唱法の多様な響きが干渉し合い、不思議なことが起こるという。
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”そこに無いはずの高音が響いてくる”という
男性僧侶しか歌っていないのに、女性の声のような高い声が聞えてくるそうだよ。
これが豊穣な倍音ってやつか!?
こうして、無いはずの音が現れ
声明の音の響きで満たされた空間は「創造の間・潜象の間」と繋がった様になり
その空間にいる者すべてを変性意識へと導くんですって(すげぇ)
是非とも生で体験してみたいですなぁ…
(やりたいことリストに追加しておこう)
つづく