石笛の聖なる音色は今も神事で生きている。
つまり縄文時代から今も日本で大事にされている神秘の音なのです。
石笛はこの世界・宇宙・地球を模した形じゃないか?
だからその穴に風や息を吹き込みなる響きは
内と外、「こちら」と「あちら(異界)」を繋ぐ通路となるんじゃないか…
そんなことを三内丸山遺跡で見つかったでっかい翡翠の大珠を見て感じたわけです。
んで、ここからは実際今も日本の神社で
神事に使われている石笛の聖なる音色がいったいどんなものか?
を知る手掛かりになる三島由紀夫の短編小説「英霊の声」に寄り道…
石笛の音により”神がかり”となった盲目の青年は何を語ったのか?
盲目の青年に降りてきたのは…神ではなく「神」を信じて命を捧げ散っていた者たち、
そして青年を通して「彼ら」の声が地上に響く…
(※超ざっくり紹介でした)
この小説をあの時代に書いて発表した三島由紀夫。
「英霊の声」の中で石笛の音について語られている。
”聴いたものにしかわからぬが”という表現からも
三島由紀夫氏が実際に石笛を使った鎮魂帰神の儀式で
神がかりとなり本当に英霊たちの声を聞いたんじゃないか?
そんな気が私はしております。
石笛の響き=”心魂を揺るがす神々しい響き”+”眠っていた自分の魂が呼びさまされる”
こんな神秘の響きだというのです。
実際に石笛は今も神事で使われており
などが有名らしいです(行ってみたいね)。
「神降ろし」に使われる、神を呼ぶ聖なる楽器である石笛なので
石笛の使用に際して神事に使う神社では
石笛を吹く者、石笛の音を聴く者にも「制限を加えている」といいます。
小説「英霊の声」にも描かれている様に
石笛の音は神だけでなく潜象の「何か」を呼んでしまうからでしょう。
呼ぶだけでなく、あちら側に連れ去られてしまう危険があるためかも…
トートの話しでアメンティーの主たちが云っていたように
我々の存在は確固たるものではなく、1か0のものでもなく
「存在性」が示すように「確率的な可能性の雲」みたいなものかも。
電子と同じなんやね~
(つづく)