新渡戸稲造の「武士道」を心の芯柱に置きつつ
尊敬する日本の哲人・安岡正篤氏の言葉に「人として生きる正道」を
学んでいる私です。
人は生まれただけでは、ただの一生命体ですが「神に似せて創られた」というのですから、どういった「道」を選び進んでい行くかで、単なる人型の動物~神人まで全く違う「生命・存在」になるようです。
古神道はその「神への道」を説いてくれてますが
まずはそこに入るまでの「迷わぬ心・精神」を強固なものにすべく
東洋哲学の偉人 安岡正篤氏の考え・教え・言葉から
人として生きる道・迷いなく進み続けて往ける「正道」を得たいと思う。
オススメの参考文献
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人は赤ん坊(無垢にして無力な存在)として生まれてから、
学び・経験を積むことで「人」として磨かれていきますよね。
だから何を学び・どんな経験を積むかで「人型の動物的存在」となるか
「神の如き人」になるか分かれるってことですよね。
では、『何を学ぶべきか?』から考えていくことにしましょう。
さっそく安岡先生のことばを引用
徳慧の学問、即ち広い意味においての道徳的学問、人格学、これを総括して「人間学」というならば、この人間学が盛んにならなければ、本当の文化は起こらない。民族も国家も栄えない。(『知命と立命』より)
まず、人が学ぶべきことは「人を創る=人間学」だと。
そして人間学とは「徳慧の学問」だとバシッといわれている。
徳を身につけなくては、人に非ず…ってことかもしれません。
確かに「徳をもつ人の集まり」が社会であり、国家ならば
人々は仁・義・誠・礼・親をもって生活・行動し
安心して協力しあい暮らせるから、繁栄もしますよね。
だから、まずは個人でも国家でも
”「人間学」が盛んにならねば文化も民族も国家も栄えない”
この言葉 胸に沁みます(;;)
では、これから「人間学」を学んで往きましょう。
「人間学」を突き詰めていくと、自動的に「新道」へ入っていくよ~
(つづく)