近代政界の根本的弱点の続きの話しっす。
私が尊敬する賢人・偉大な哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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①安岡正篤氏をまったく知らなかった方は、まずはこちらを
②安岡先生の実際の講義・講習にふれたくなったらこちらを
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③安岡先生の賢者ぷりに衝撃を受けた、私と先生の出会いの書はこちら
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では、安岡先生が政治について語った話の続きへ
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前回も触れたが、安岡先生は政治についてこう語っている
『政治の要訣は結局、人を知り・人を用うるの一点に帰する』
つまり、その人(政治家本人)がいくら有能で手腕力量があったとしても、
”人を知る明なく、人を用うるの徳がなければ”政治家として談ずるに足りない、と。
確かに、国を守り動かす政治はひとりじゃできないからね。
んで、安岡先生は近代政界の根本的弱点は
『名士がひとしく人を知らない点にある』とズバッと指摘している。
俺が、俺が!って政治家や なーなーな組織感が蔓延しているのだろうか…
では、どんな人物を用いるべきなのか?
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安岡先生は中国の宋代の政治家・張詠の人選(人物鑑定)をあげている。
張詠が推挙する人物とは『退を好む者(浪人したがる人)』だそうだ。
それはどんな人かというと、
- 退を好むものは廉謹(潔白で私欲が無く、慎み深い)にして、恥を知る
- 挙用すれば忠節(忠義)ますます堅くして失敗は少ない
つまり仁義誠に生きる人物だということだろう。
確かに、こういった人に政治を担ってほしいと庶民側(私)も心から願う。
やるべきことを成し、その座に居座ることなく退するべき時にサッと退する人なんだろう。権力や地位に執着することなく、どこまでも魂が「自由」で解放された人なんだと思う。だからこそ真直ぐ誠に生きられるし、任務をまっとうできるんだね。
では逆に張詠が「挙用してはならぬ人」というのは どんな人物なのか?
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『奔競(我先にと走る、利益や官職を争って求めること)する者』
こういった人物は挙用してはダメだ、と。
奔競する人は
- よく己を曲げて事へ
- 媚び諂い
- 人に知られようとする
で、こういった人を挙用してしまった場合どうなるかというと
- 必ず才にほこり傲慢になり
- 利を好み(収賄+私利私欲を満たし)
- 推薦者にも累を及ぼす
という最悪の結果がまっているそうです。。
なんか、今話題の「脳外科医 竹田君」思い出すね。
なかなかに味わい深い教えですよね。
政治の場面でなくとも、あらゆる場面で「人を見る・人物を見極める」参考になりそうですね。ただ「能力が高い」ってだけじゃ、魔物に変身することもあるわけだ。
「挙用すべき人」=仁義誠に生きている人
断然こっちで在りたいと思うぜ~
私が心の芯柱にあげている「武士道」と同じでなんか嬉しいっす。
マジで、多くの人に読んでほしいし、手元に持っててほしい1冊です。
常に「天を向いて生きる」というブレナイ心が手に入ります。
”天と自分に恥じぬ生き方を貫く、それが正道”だと云ってくれてる気がする。
(つづく)