徳のある人、人格者というのはどくどくの風韻を持つんだそうだ。
私が尊敬する「安岡正篤」氏ってこんな人
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人格というのはやはり表にでるようです。
外に現れるとでもいうのでしょうか。
安岡先生に関する書籍を多く書かれている神渡氏は
「基準があるわけではないが、人格を計る尺度は確かに存在する」として
安岡先生のこんな言葉を示してくれております。
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人間の諸内容、もろもろの徳が和合してまいりますと、宇宙も生命人格も一つのリズム・風韻をなしてきます。人間そのもの、人格自体が、どこか音楽的なものになってきます。これを風格・風韻・韻致などと称します。
人格ができてきますと、どこかしっとりと落ち着いて、和らかく、なごやかに、声もどことなく含み、潤い、響きがあって、その人全体がリズミカルになるものです。
(『朝の論語』)
これを「宇宙の調和のリズム」というのかもしれない。
人格・徳の高い人というのは落ち着いていて・穏やかで・寛容な雰囲気なんだろうな…って何故かわからないけど私もそんなイメージを持っております。
「圧」がないというか、柔らかい雰囲気と話し方や聞き方のひとなんだろうなぁと。
”人間そのもの、人格自体が、どこか音楽的なものになってくる”
という部分、非常に興味ぶかいです。
宇宙全体が「ヒビキ合い」でできているという話とも通じてくる。
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古来より日本は言葉にリズム・節・調子をつけて詠む「歌文化」の民族なのも
こういった宇宙のリズムを感じ呼応させていたからなのではなかろうか。
人格が練りあげられた徳ある人というのは、自然と美しい調和の響きを発しているんでしょうね。これはなんとなく私でも感じ取れそうな気がします。
歌・舞は宇宙のリズムを体得する方法であり、
また宇宙のリズムと合わさった時、優美な心を得られるのかも。
知識・智恵に触れるだけではなく、
身体を使って感じ得る真理もあるのではなかろうか。
(そんな思いが私と植芝盛平先生を繋げてくれたんですよね~)
諸々の徳を得て人格が練りあがった人物というのは
周囲の人(他者)に不安も恐怖も圧も感じさせない人なのでしょう。
むしろ人をひきつけ引き寄せるなにか「温かさ」「安らぎ」のようなものを自然と発してるんだと思います。そういう人に出会えたら、是非お話伺いたいものですね。
(つづく)