プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【日本魂】安岡正篤氏に学ぶ~人間学:貧賤に処して懾れず、以って富貴なるべし。

「懾れず(おそれず)」の字が示、”人の恐れの心理”に納得。

日本人の心・日本人魂の支柱(芯柱)として、私は「武士道の精神」を置いております。仁義・誠・礼・敬・慈愛を大事にする、と決めると迷いなく(心に矛盾なく)生きられるとわかったので。

 

それからさらに「日本の哲人・安岡正篤氏」の言葉に学び、「日本魂」に「日本の誇り」を感じております。

 

 

 

では、安岡先生の見つめていた世界へ。

上で紹介した『易と人生哲学』の中で、

先生はこの言葉について説いてくれております。

”貧賤に処して懾れず、以って富貴なるべし”

 

「貧賤」=貧しく、身分が低いこと

「富貴」=金持ちで、かつ身分が高いこと

 

”貧賤にあって、それを「懾れず(おそれず)」、そういった人物であって はじめて富貴にも処することができる”

そんな意味の言葉だそうです。

 

何となく私はここでいう「富貴」は金銭・財の所有云々とか身分のことよりも もっと尊いレベルの話しではないか、と思っております。

「富」はもっと心から湧く豊かさのことで、心が常に慈愛や豊かさで満ち充ちている状態のことで、「貴」は神の如く高貴な存在を指すのではないか、と。

 

でも、今回 注目してほしいのは「懾れず(おそれず)」という部分です。

安岡先生はこの部分について、

面白いのは、懾れるという文字です。

これは耳をそばだてて「あいつは何を言うておるのか、何か自分の悪口を言うておりはせぬか」と神経をとがらせて恐れることを意味します。そこで立心偏に耳が3つ書いてあります。

安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)

 

立心偏に耳が3つ!

世間の声、他人からの評価・評判を気にするあまり「心」そのものが第三の耳状態、

外部からの声を聞くために「心がいっぱいいっぱい」なんだと文字から想像できる。

その状態を「おそれ」だというのです。

確かに、金銭・財の有無、身分の高い・低いを別にしても「心は貧し、自ら賤と成り下がっている」という状態だと思われますね。

 

心が外界の声に怯え、恐れでいっぱいの状態では、いつまでたっても「真の富貴」にはなれないでしょう。だって金持ちになって出世したとしても、より他人・外部からの評価・評判は気になるだろうし、今度は同じように「懾れ状態」にある人達からの妬みや嫉みの声も大きく・多くなるだるから(^^;

 

自分が何を持ち・何を持たざる状態で在っても 「常に懾れず、何も懾れず」の状態でなければ「心からの安心も豊かさ」を手に入れることはできなし、正道を歩むこともできないってことでしょう。

 

「ただ今在る私、私自身」が「天」に対して、胸をはれる存在か否か。

それだけがやはり生きる指針なのかもしれません。

 

(つづく)

 

 

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