プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【日本魂】安岡正篤氏に学ぶ~人間学:栄耀栄華の中に在りながら一向に心楽しまず…

「なるほど」と昔からいわれている、ある有名な教えの意味が理屈ではなく

もっと深いところにスーッと染み入ってきて理解できた。

私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人

 

 

本日の話は、安岡氏が『人間を磨く』の中で引用した、カンドゥ神父の『永遠の傑作』にあるという「ある王と羊飼いの話」について。

昔、栄耀栄華に中に暮らしていたある王が一向に心楽しまず、真の幸福を求めてやまなかった。たまたまある有名な占い師がいて、~(略)~

(「人間を磨く」)

安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)より

 

この話の「オチ」が気になる方は調べてみてね~

ただ、初めの一文に大事なことは全て語られている。

 

栄耀栄華の中に暮らしている王なのに、全然心は満たされていないのです。

「真の幸福」を探し、心さすらうばかりで一向に心やすまらず…。

そもそも「真の幸福」が何かもわかっていないし、見えてもいないんだから当然か?

「なんだかわからない真の幸福」を求めてやまない状態=枯渇状態だったのです。

 

このお話で示されたのは「足るを知る」という昔からいわれている有名な教え。

「今在るのもに感謝し、満足しなさい」的な意味で漠然と「知った」気でいましたが、

なんかこの物語調の示しによって、私の中の深い部分で府に落ちた。

 

「真の幸福」という幻想の存在を追っておる為、

「今在る栄耀栄華・幸福・満ちたりた生活」が王には見えていないのである。

幸福というのは「感じ・あじわうもの」であって、探し求めると「幻」になってしまうんじゃなかろうか?

もっというと「幸福」とは「認めること」なのかもしれない。

「認めること=受け入れること」となるのかも。

 

「真の幸福」とは、当たり前のようにあなたの側にあって

その存在が「当たり前すぎて」意識の中に映らなくなっているのかも。

 

「今ある幸福」を認め受け入れたら、逆にどんどん新しい幸福を見つけていけるのかもしれません。「0→1」にすることができれば、後は倍々~指数関数的に増加・拡大するのかもね。

 

幸福は探しもとめる「幻」ではなく、感じ味わうものなんだね。

「足るを知る」という教えは、「今在る物で充分と思いないさい」という謙虚さを説いたものかと思っていたが、違ったようだ。

 

(つづく)

 

 

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