よーく見ようと「寄りで見つめる程に」、この世界は曖昧な姿となってゆく…
これがこの世界の真実なのでしょうか?
縄文の数学・古事記に隠された古代の智恵を理解するために「量子論の世界」に寄り道中の私です。
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では、「観測の影響」をもう少し考えてみましょう。
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「見る」という行為には”対象物に光を当てる”という性質がある、対象物に光が当たった後の姿しか見えないので「そのものをありのままに見る」ことはできないわけです。
では他の「観測」についてはどうでしょう?
例えば「温度を測る」
- コップの水の温度を測る為に、コップの水の中に温度計を差し入れる測る時
- 体温を測る時に体温計を使い測定する時
「観測器」は「観測のための何らかの作用」を対象物に及ぼしていますよね。
温度計そのものの温度が水の温度に影響してしまうはず…
非接触型体温計の場合は?
タニタのHPにどういう仕組みで体温を測定しているか書かれていますが、
「人が額表面から放射している赤外線量を測定し、舌下の温度に変換している」そうです。
実験データから創った「特殊なアルゴリズム」を使って換算して導き出している数値なわけです。非常に高い可能性の推測数値ともとれますね。「ありのまま・そのものの温度」を測れているわけではないのです。
でも、まーマクロの世界(つーか実生活)では、こういった観測の結果で充分役立つからOKともいえますね。
しかし、ミクロの世界では観測の影響が大きく作用するのです。
では「観測による影響がどの程度あるかを前もって厳密に計算」できればどうか?
観測結果から観測による影響分を除けば、観測前の状態を正確に捉えることは可能、とも思えますよね。
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ところが、「ミクロの世界では物質が波としての性質を強く示す」ということを考慮すると、どんな方法にしても避けられない「観測結果の曖昧さ」が存在するとわかった、というのです。
ミクロの世界にある「原理的・本質的な不確かさ」は、ドイツの物理学者ハイゼンベルクによって発見され、世界に大きな衝撃を与えたのです。
我われはこの世界を構成する根源・素にあるものを見ようと、寄りで見つめる程に「この世界のはじまりにある曖昧な姿」を見てしまうようです(‘~‘)
定規を使って、正確にピッタリ10㎝の線を引けないってことにも通じるね。
定規のメモリ線はミクロでみれは「けっこうな横幅」を持っているからね。
(つづく)