「節義」の意味から確認しはじめた私です。
安岡先生の言葉に学ぶ時は、いつも辞書が友だちさ~
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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安岡先生はこう語る。
「徒に生きないということは、節義を立てるということ」だと。
「徒に(いたずらに)」=無駄に、無益に、無意味に
徒に生きない為には「節義を立てる」必要があるというのだ。
真木和泉によると「節義は人の体に骨があるが如し」だそうだ。
なるほど「節義」を立てることで、私という生命が「自立」できるわけだ。
何ものにも頼らず、依存せず、しっかりと「自分で立っていられる」わけです。
「節義」=人としての正しい道を護り通すこと、節操と道義
これが「肉体・精神・魂から成る私」の骨格を成すわけです。
人体における背骨は『天の御柱』のウツシである、といわれている。
節義も私の中に在る「天の御柱のウツシ」なのだろう。
常に「人として正しい道を護り通す、そうして生きる」と心に立てていれば、判断に迷うことは無くなる、確かに。同調圧に屈したりとか、その場のノリや空気に流されたりしなくなるね。
節義を立て、道理に従い正道を往く自分の強さを心から信じよう。
そこから、生は命に向かって「はじまる」のかもしれない。
(つづく)