プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【日本魂】人間学:安岡正篤氏が説く「夫子の道は忠恕のみ」の真意

「忠恕」は一般には「誠実・思いやり」とされていますが、

安岡先生はひと味違った解説をしてくれております。

私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人

 

 

 

 

では、さっそく安岡先生の解説をどうぞ。

曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ」。論語の有名な一句である。

人間がよって立つ現実は決して単純平易ではなく、いろいろな矛盾撞着を含んでいる。その矛盾対立を統一して、少しでも高い次元へ進歩向上する働きを中といい、忠とはその心である。恕とは如と心の合併文字だが、如とは女の領域分野を意味する文字であり、子供を生めるのは女だけであり、造化そのものである。この限りなき成育化育の働きを持った造化そのままの心を恕という。

強いていえば、忠あ進歩向上の主体であり、包容含蓄は恕の本意ということになる。孔子の道は造化そのもの、偉大な包容と無限の創造造化の道なのである。

(『人物を修める』)

安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)より

 

一般的に、

「忠」=まごころをこめて、つとめを果たすこと。真心・誠

「恕」=他人の立場や心情を察する気持ち、思いやり。赦す、おおめにみる。

という意味だそうです。

 

でも、「夫子の道は忠恕のみ」で曾子が示す「忠恕」の意は安岡先生が説くものに近いのではないでしょうか。

「夫子」の意味は、

  • 昔の中国で大夫以上の人に用いた敬称
  • 長者・賢者・先生などを敬っていう語
  • 孔子の敬称

なんだそうです。故に「立派な人」を指すとも言われている。

だから安岡先生も「夫子の道=孔子の道」と結んでいるのでしょう。

 

安岡先生の言葉を聞くと、「忠」にあるのは「天への忠信」だとわかります。

矛盾撞着を含んだ現実社会・現実世界の、その矛盾対立を統一して、少しでも高い次元へ進歩向上する働きを「中」といい、その「中を成す心」が『忠』だというのですから、真心・誠をもって成すつとめというのは「天命からくる使命」でしょう。

 

さらに「恕」、私は恥ずかしながら…この文字初めて知りました。

文字を見ただけの時は「怒」に似た意味かと思ってしまった。

「如=如し」という意味でしか馴染みがなかったのですが、本来は「同じ(ような状態)」を示す字なんだそうです。そこに女性の領域・分野がどう表現されているのか?

これを理解するには「如在」という言葉の意味がヒントになりそうです。

”如在=祖先の霊や神が目の前におられるが如く慎み敬うこと”

ということは、祖先の霊(先祖代々の霊)や神の存在を感じ繋がることが「如」ですよね。確かに血の継承・生命を生むという造化の神の領域は女性と強い繋がりを感じます。

だから「恕」は生命の生成・命のリレー(遺伝・血縁の継承)を成す造化の心だというわけですな。造化の神の心との合一までを指しているのではないでしょうか。

 

『造化そのもの、偉大な包容力と無限の創造造化の道』というのは、古神道が示す「神の道」ではないのでしょうか?

人は本来そこまで達することができるし、そこを目指し成長繁栄するようにプログラムされた生命なのではないだろうか。

 

あなたは、どう思いますか?

 

(つづく)

 

 

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