安岡先生の言葉は私や日本社会の「深いところにある膿」を絞りだしてくる、ものがある。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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安岡先生の長いお言葉の中の一節なのですが、この言葉を聞いた時、今の社会や個人を膿ませる元となるものの1つが分かった気がした。
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イデオロギーは要するに看板である。看板の塗替えは至極簡単である。
それよりも真理を生活しなければならぬ。
(『百朝集』)
「イデオロギー」とは何か?
私はこの一文を読んだ時「イデオロギー=主義」と超簡単・雑に意味を解釈していた。
でも、もっと深い意味で「イデオロギー」を安岡先生は使用したのではないか、と調べてみた。
【イデオロギーとは】
- 理念(idea)+思想(logos)を組み合わせた言葉、観念形態・思想形態
- 「社会の在り方」や「人の行動を左右する考え方や信条」
- 「政治に関する思想・信条」「政治理念のよりどころとなっている立場や考え方」
こうした意味に加えて『偏ったモノの見方』『特定方向に偏向(湾曲)した思想』という意味でも使われることば。
そもそも語源に「ロゴス(真理の言葉・真理の法則)」があるのだとしたら、イデオロギーという言葉はだいぶ湾曲して使われていることがわかる。
その言葉が「偏った見識・認識・思想・主義」を示すというのだから、人の愚かさを宇宙の根源(真理)がうまく突いているような…不思議な感覚に陥るぜ~
われわれは「社会思想」によって、世界を「偏った見方」「湾曲した見方」でしか認識できていないのかもしれない。日本の政治が進むべき正道から大きくずれてブレブレなのも政党ごとにイデオロギーがグラグラに歪み揺らいでいるからかもしれない。
政治の実務や細かな内情はわかりませんが、「日本国民の安心・平和・幸福の為に、国の繁栄のために」国政とはるべきなんじゃないでしょうか?
ただこれだけをまず「御柱」に据えて、政治家も国民も一体となって協力すれば、国が不健康に弱っていくことはないんじゃないでしょうか?
「日本が衰退」するのは「日本が衰退することを望む」者たちが舵取りしいているからではなかろうか…そんな思いが日に日に強くなってしまいます。
しかし、こうした私の嘆きに対して、続きの言葉によって安岡先生はピシャリと己の襟を正しなさいといってくるのです(;;)
(つづく)