国民の希望や国民の言葉に背を向ける「政治」
政治や政治家に不信感・嫌悪感を抱く「国民」
この負のスパイラルはどのように起こり続いているのか?
今回は安岡氏を師とし、我々に安岡の言葉をわかりやすく伝えてくれている神渡氏の言葉から学びを得たいと思います。
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こちらの本を1度は読んで欲しい。
この本の中の「政治家と現実」という項で、
安岡が政治家の多忙ぶりと政界の混沌に触れ、政治家たちが身も心も荒ませていく様子を語った言葉に続き、神渡氏はこう書き記しております。
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しかし、国民は馬鹿ではない。政治家が利権を持っているためにすり寄っては行くものの、好悪の情は持っている。利権政治家はいつしか反感侮蔑の対象となり、機会を得て捨てられる。そして、国民は政治に必要以上のものを期待しなくなる。政治への期待がなくなれば、いっそう政治家を荒ませ、堕落させていく。
~(中略)~
政治は汚いと毛嫌いする前に、政治はまた国民のレベルの反映であることも肝に銘じていかねばならない。
安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)189pより
とても重要なことが、わかりやすく記されている。
国民が「国民の為の政治」を期待しなくなったから、政治家は期待をもってすり寄ってくる献金団体や他国企業や他国組織の方を向き、彼らの期待に応えているってことか!?
いや、その前に「期待を裏切られ続けられている国民」という、政治が創った存在を忘れてはならないけども。
「国民のための政治」に背を向け、賄賂や私利私欲で国や国民を裏切る行為をした政治家は「国家反逆罪」の罪に問われるべきではなかろうか?
過去100年の腐敗をすべてさかのぼって、そこにある罪は問われるべきでは?
金の流れを徹底的に追うと必ず闇は明るみにでるのではないでしょうか?
日本のジャーナリズムや捜査機関・監査機関の正義が腐りきっていないことを願う。
法に反していなくとも、倫理に反していればそれは「罪」であり、有罪ではないんでしょうか? (法にはいくつも抜け穴がある故に)
でも、私に一番響いたのは、最後の一文です。
”政治は国民のレベルの反映である”
グサっときますね(‘~‘)
(つづく)