「人として、どう生きるか」「どうしたら迷わず生きれるのか」
今回、その1つの答えが示されております。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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安岡氏は政治家でもなく、実業家でもない。
ただひたすらに日本人に「徳慧の学び」を説き、国民皆が自らの足で立ち、他に振り回されず正道・天道を歩んでいけるようにと「教育・指導」に力を注いだ人物なのです。
そんな安岡先生によくこんな言葉が掛けられていたそうです(;;)
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「極めて少数の者にしか通じそうもない学問(徳慧の学~活学・人間学)を、何の為にそう熱心に没頭するのか?」
この投げかけられた問いかけに対し安岡先生は、
『私には少数で十分だ。一人でも十分だ。一人もいなくても十分だ』と答えた。
これ(↑)すごくないっすか⁉
この覚悟と信念凄くないっすか!
「私がやるべき事だ」「これが自分が成すべきことだ」と信じ行っていることに対してここまでの気概と信念をもって生きる、これが「命に目覚め、命に生きる」人の姿なのですな。
「誰にも認められずとも、誰ひとりに受け入れられることなくとも」己と己の命を信じただひたすらに邁進する、その覚悟を持てるだろうか…
でも実はこのブログも最近では、この気持ちに近い感じで「日本人が日本の智恵と文化に誇りをもって、徳の高い民族性を大事に繁栄してゆけますように」と願いを込めだたひたすらに書いている、ただ私の場合は「一人でもいいから このことが通じて欲しい」と欲を持っている。
『至善は外界からの手を求めない。内部から培われ それ自体から出でて全きものである』(セネカの教え)
安岡先生もそう信じているという。
世間の人たちからどう思われようと、世間から認められずとも、それは問題ではなく、
「自ら信じる処に従って、自分を信じて(自分を頼り)進んでいくのだ」と。
これが安岡先生の生涯を貫いた信念だったようです。
”心から自分のことを信じる、そして自分を頼りにできる”
まずは自分との確かな信頼関係を築くために、己の誠(心に湧く善)に叛くことなく生きることが大事なんですな。
私を私は絶対に裏切らない、そう確信・信頼できてますか?
(つづく)