プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古代日本謎解き】肉体の覚醒~武産合気の道②古事記の秘密

合気道の祖・植芝盛平氏も「古事記」の内容に注目していたようである。

植芝氏の「古事記の解読(解釈)」が非常に興味深いものなのです。

カタカムナで潜象カム界の力と現象アマ界の力がヒビキあって

生命・現象・アマが生成・生命活動を持続しているとわかった。

 

潜在能力や潜在意識に「神秘の力」を感じている人は多い。

だが、私は思うのです、わざわざ生成された「肉体」もカム意による造化なんだから、そこには精神・魂と同様に「神秘の力」が込められているはずだと。

 

身体・肉体の真の力を覚醒させるために、私が見つけた1冊がこちら。

是非とも1度読んでほしいっす。

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

  • 作者:清水 豊
  • ビイング・ネット・プレス
Amazon

 

合気道の祖・植芝盛平氏が「武+産巣日の力」の発揮を「合気」に見いだしていたことにを深く探っていくと、同時に「古事記」に示されていることの見え方がわかってきたのです。

 

 

古事記」とは、何を示した書か?

  • 古代日本の歴史書
  • 神代からのこの世の成立ち?
  • 日本神話?

植芝盛平氏だけではなく、私もなのですが

”「古事記」は単なる歴史(歴史物語)を書き記したモノではなく、実際にこの世の成立ち・理(法則性)・神の御業と人を繋ぐ「秘伝の書」なのではないか”

と捉えているのです。

 

ただ、「エメラルド板」のように その智恵を伝授されるべき者だけに

その真意が伝わる様に「智恵の暗号化」された書なんやないか、と。

 

上記に紹介した本の中で気になる指摘があったのです。

古事記の読み方

古事記には読み方がある」

と、いうのです!!

なんでも古事記には「誦」が振られており、

読む時に「声に節をつけて詠む」のだという。

ここでもやはり、日本語は「ウタ」なのだと示されている。

 

日本語の歌文化というのは、カム界との交信であり

言霊の力を発揮するための神技・儀・形式なのです。

 

こうして「日本語の音のヒビキ」「言霊」というものに注目すると、必ず紹介されている万葉集の歌がある。

『そらみつ倭の国は、皇神の厳しき国

言霊の幸はふ国と語り継ぎ、言ひ継がひけり』

万葉集山上憶良

 

ここに「日本」「日本語」が如何なるものかが示されている。

日本とは、

  • そらみつ倭(大和)の国
  • 皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国
  • 言霊の幸はふ国

そう古代(神代)より語り・言い継がれている国なんだと。

 

【そらみつ倭の国】

”そらみつ=神が降り立つ時、虚空(そら)から見つけ(みつ)降り立った”

それが「倭(大和・やまと)の国」だと一般には解釈されているようです。

 

他にも「空御津」=空から神が降りたつ港、それが倭の国だという説も。

とにかく「神が降りてくる地(国)」が「やまとのくに(日本)」なのです。

 

私は実は違った意味に思えております。

「そら=虚空」に”何か”が満つる 天と地の中津国、それが「倭の国」だと、神代から語り継がれているんじゃないか、と。

「そ音」と「ら音」が満ちている、ともとれる。

祖(一元)の螺線・羅網の力ともとれる。

 

「何か」をウタのつづきが示しているのかもしれない。

 

【皇神の厳しき国】

  • 皇神=皇祖の神、各地に鎮座している神々
  • 厳しき国=(皇神が)厳粛におられる・治めている国

漢字の示しから読み解くとこんな感じになる。

日本は「皇祖の神・神々が鎮座し治めている国」だと言い伝えられているのです。

 

上の意に加えて、私は音のヒビキから「すめがみのいつくしきくに」に別の意も感じている。

「ス声の芽が生む神々(神霊力)」が「イ(生きる・生命)を慈しむ」そういった気d満ち満ちた国だということではないだろうか、と。

「スメ=始まりの息吹を発する芽(はじまりの一点)」のことで、

「スメ神=天之御中主」ではないか、と。

 

【言霊の幸はふ国】

”言霊の霊妙な力によって、幸福が生じる(生成される)国”

そう語り・言い継がれていると山上憶良はウタっている。

 

言霊は「幸御魂」に作用する響きをもっているんだろう。

言霊は人の意志と幸御魂を「むすび」現象界に作用する、人の意志を現象界に反映させる鍵なんだと思う。言葉そのものに力が在るというよりは「人とカムを結び力を引きだすための鍵」ね。

 

言霊の響きが「魂のひれぶり」を起こすのではないか、と考えております。

 

日本語は歌い詠むことに意味がある

ここから導き出される結論は「日本語はカムアマを繋ぐウタの創造」のためにある。

そう造られたものだということだ。

 

カタカムナも「ウタヒ」であるし、

古事記も節をつけて詠むものだとすると

日本語=カムとアマを繋ぐ響きを研究し尽くして創られたもの

としか思えない。

 

「音のヒビキ」が重要で、そこに「揺れ」が加わる。

だから「母音を響かす」ための歌い方が重要なのではなかろうか。

祝詞の読み方や和歌の歌い方には深い意味があるはず。

 

肉体の正しい使い方でいうと「人の肉体=天に通じる響きを奏でる楽器」なのかもしれません。

 

古事記」の理解が一段深まったところで、先に進んでいきましょう。

(つづく)

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村