合気道の祖・植芝盛平氏も「古事記」の内容に注目していたようである。
植芝氏の「古事記の解読(解釈)」が非常に興味深いものなのです。
カタカムナで潜象カム界の力と現象アマ界の力がヒビキあって
生命・現象・アマが生成・生命活動を持続しているとわかった。
潜在能力や潜在意識に「神秘の力」を感じている人は多い。
だが、私は思うのです、わざわざ生成された「肉体」もカム意による造化なんだから、そこには精神・魂と同様に「神秘の力」が込められているはずだと。
身体・肉体の真の力を覚醒させるために、私が見つけた1冊がこちら。
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是非とも1度読んでほしいっす。
合気道の祖・植芝盛平氏が「武+産巣日の力」の発揮を「合気」に見いだしていたことにを深く探っていくと、同時に「古事記」に示されていることの見え方がわかってきたのです。
「古事記」とは、何を示した書か?
- 古代日本の歴史書?
- 神代からのこの世の成立ち?
- 日本神話?
植芝盛平氏だけではなく、私もなのですが
”「古事記」は単なる歴史(歴史物語)を書き記したモノではなく、実際にこの世の成立ち・理(法則性)・神の御業と人を繋ぐ「秘伝の書」なのではないか”
と捉えているのです。
ただ、「エメラルド板」のように その智恵を伝授されるべき者だけに
その真意が伝わる様に「智恵の暗号化」された書なんやないか、と。
上記に紹介した本の中で気になる指摘があったのです。
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◆古事記の読み方
「古事記には読み方がある」
と、いうのです!!
なんでも古事記には「誦」が振られており、
読む時に「声に節をつけて詠む」のだという。
ここでもやはり、日本語は「ウタ」なのだと示されている。
日本語の歌文化というのは、カム界との交信であり
言霊の力を発揮するための神技・儀・形式なのです。
こうして「日本語の音のヒビキ」「言霊」というものに注目すると、必ず紹介されている万葉集の歌がある。
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『そらみつ倭の国は、皇神の厳しき国
言霊の幸はふ国と語り継ぎ、言ひ継がひけり』
ここに「日本」「日本語」が如何なるものかが示されている。
日本とは、
- そらみつ倭(大和)の国
- 皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国
- 言霊の幸はふ国
そう古代(神代)より語り・言い継がれている国なんだと。
【そらみつ倭の国】
”そらみつ=神が降り立つ時、虚空(そら)から見つけ(みつ)降り立った”
それが「倭(大和・やまと)の国」だと一般には解釈されているようです。
他にも「空御津」=空から神が降りたつ港、それが倭の国だという説も。
とにかく「神が降りてくる地(国)」が「やまとのくに(日本)」なのです。
私は実は違った意味に思えております。
「そら=虚空」に”何か”が満つる 天と地の中津国、それが「倭の国」だと、神代から語り継がれているんじゃないか、と。
「そ音」と「ら音」が満ちている、ともとれる。
祖(一元)の螺線・羅網の力ともとれる。
「何か」をウタのつづきが示しているのかもしれない。
【皇神の厳しき国】
- 皇神=皇祖の神、各地に鎮座している神々
- 厳しき国=(皇神が)厳粛におられる・治めている国
漢字の示しから読み解くとこんな感じになる。
日本は「皇祖の神・神々が鎮座し治めている国」だと言い伝えられているのです。
上の意に加えて、私は音のヒビキから「すめがみのいつくしきくに」に別の意も感じている。
「ス声の芽が生む神々(神霊力)」が「イ(生きる・生命)を慈しむ」そういった気d満ち満ちた国だということではないだろうか、と。
「スメ=始まりの息吹を発する芽(はじまりの一点)」のことで、
「スメ神=天之御中主」ではないか、と。
【言霊の幸はふ国】
”言霊の霊妙な力によって、幸福が生じる(生成される)国”
そう語り・言い継がれていると山上憶良はウタっている。
言霊は「幸御魂」に作用する響きをもっているんだろう。
言霊は人の意志と幸御魂を「むすび」現象界に作用する、人の意志を現象界に反映させる鍵なんだと思う。言葉そのものに力が在るというよりは「人とカムを結び力を引きだすための鍵」ね。
言霊の響きが「魂のひれぶり」を起こすのではないか、と考えております。
日本語は歌い詠むことに意味がある
ここから導き出される結論は「日本語はカムアマを繋ぐウタの創造」のためにある。
そう造られたものだということだ。
カタカムナも「ウタヒ」であるし、
古事記も節をつけて詠むものだとすると
日本語=カムとアマを繋ぐ響きを研究し尽くして創られたもの
としか思えない。
「音のヒビキ」が重要で、そこに「揺れ」が加わる。
だから「母音を響かす」ための歌い方が重要なのではなかろうか。
祝詞の読み方や和歌の歌い方には深い意味があるはず。
肉体の正しい使い方でいうと「人の肉体=天に通じる響きを奏でる楽器」なのかもしれません。
「古事記」の理解が一段深まったところで、先に進んでいきましょう。
(つづく)