シュタイナーと盛平…彼らは特別な経験を通して何を得たのか?
カタカムナ+古事記の解読~日本語の神秘の探究の流れで「肉体にもカムアマの覚醒スイッチあるんじゃね!?」という好奇心が湧いてきまして、そしたら私の前(私の世界)に急に「合気道の祖・植芝盛平」が登場したのです。
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私が運命的出逢いで購入したのが「この本」
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では、「気体を開くために、一元のこれまでの創造に触れる」という難儀な修行に挑むために それを成したシュナイターと盛平の言葉に耳を傾けてゆきましょう。
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【シュナイターによると】
”霊界を直接体験することによって”
考古学や歴史学が限られた外的証拠や史料から「こうであっただろう」と考察してきたよりも、遥かに確実な仕法で歴史を知る(知り・記述するを含む)ことができる、という。
「霊界を直接体験する」とは一元と繋がり、アカシャ年代記(宇宙の全記録)の中に入ることらしい。
その全記録に入り「直接体験する」とは、どういうことかというと
→そこに記録されたこれまでの出来事が「今、あらためて私(あなた)の目の前で特定の仕方で展開し始める」ということなんだそうです。
まさに「その時何が起きたのか?」を私(あなた)がそこで実際に体験するのです。
【植芝盛平によると】
「魂の緒をとぎすまし、そして大祓祝詞を奏上すると、その道々より神々がお招きせぬとも 相参じ相集いて…」
その感覚をこのように述べております。
古事記が示す「別天津神~神世七代」までの『我々が在る世(世界)』より上層にある別界(カム根源界)と繋がることができたんだろうと思われます。
ここにある「魂の緒をとぎすます」のが三元の修行(三体+気体を開く+気のむすびで繋がる)ことの神髄なようです。
盛平によると、魂の緒が研ぎ澄まされた状態で「大祓祝詞」を無心(無我状態)で唱えることが、重要な鍵になっているように思えます。祝詞に込められた日本語の音のヒビキにはやはり潜象・現象を超えた力が込められているのかもしれません。
(つづく)