アイスマンと呼ばれた冷酷ヒットマンを摘発した潜入捜査官の話を聞いた後
次に向かったのは訃報死亡訴訟を扱う判事・調停員のところ
刑事事件と異なり誰も投獄されないので、
代わりに金銭のやり取りで正義が執行されるという・・・・
ヒットマンの話も面白かったのですが
次に向かったアレキン判事/調停委員の話も
大変興味深いものでした。
裁判で争われる「賠償金」
その金額がどうやってきまるのか?
「そういう指標&計算方法なの!?」と驚きました。
法廷で争われる命に値段に
何となくモヤモヤした感情があった私ですが
今回そのモヤモヤが晴れるきっかっけになった。
Amazonオリジナル番組
攻めの経済ドキュメンタリー
「ジャイアント・ビースト」
第6話はこちら
⇓
- 「命の値段」について訴訟を扱う判事を訪ねる
- 不法死亡・不慮の事故死における訴訟の意味
- 法の下で「人の命の価値」はどう決まる?
- 遺族にとって訴訟は感情を浄化する場
- 不慮の事故を防ぐのもまた裁判で示される金額!?
「命の値段」について訴訟を扱う判事を訪ねる
今回番組ホストのカルが訪ねたのは
過去に全米最高額の賠償金を設定した
アレキン・ハーキン=トレス判事/調停委員
ドラマや映画やニュースで触れる以外
実体験では経験がなくその実態は未知の領域だった
法の下での「命の値段」にカルが攻め込んでいってくれました。
ありがとう、カル・ペン。
1万5000件以上を担当し、
まとめ上げた和解金の合計は20億ドル以上という
アレキン判事の話はわかりやすく、
更には私の「裁判で争われる人の命の値段」に対する
グレーな印象を変えてくれました。
不法死亡・不慮の事故死における訴訟の意味
今回は話を聞いたのは
「不法死亡に関する訴訟と賠償金」について
不法死亡という言葉で
カルとアレキン判事の会話が進んでいたのですが
どうやら「不慮の事故による死亡」のことのようです。
正確に言うと「そう判断された死」のこと。
つまり事故を装って・・・
刑事事件にならかなったモノも含まれている感じよ。
ここで私の中に印象深く残った判事の言葉が
こちら
刑事事件と違って誰も投獄されない、
だから
「代わりに」金銭のやり取りで正義が執行される、と。
なるほど
相手の罪の重さを「刑」ではなく「金銭」で計るわけですな。
これは罪の分、金銭的なダメージを追わせるって意味合いが強い。
そうかぁ
私の中に少なからずあったモヤッとした
「人の命をお金に変える」ってイメージがちょっと晴れはじめた。
しかし、
実際にどんな訴訟パターンが多いのかを判事に訊ねると
その答えはやはり私をモヤっとさせたのです(--;)
「裕福な夫が死んだ場合が多い
妻が賠償金を求めて不法死亡で訴えるんだ」
むむむむっ
と思ったのですが
この場合が訴訟で多いケースなのは
法の下で決められる「人の価値」の基準や算出方法にあるようなのです。
法の下で「人の命の価値」はどう決まる?
※アメリカの場合、州によってその判断基準は違うそうです
そこを踏まえて
「ニューヨーク州では」という回答です。
賠償金額を決める時に考える
「(亡くなった)その人の価値」
これがどう算出されるかというと・・
人の価値は、
その人が生み出すお金で決まる
って判事はキッパリ言った。
※判事の思いは含んでないよ、あくまで州の法廷ではの話
もっというと
「誰を養っているか」で判断されるんだって。
ここで判事はこの理念の問題点も同時に指摘してくれている。
⇓
これでいくと
子供は誰も養っておらず、お金も生み出していないので無価値になってしまう。
「子供や老人の価値=ほぼゼロ」になる。
でも、実際はそうじゃない。
だからアレキン判事は
「亡くなった人が受けた死の恐怖や苦痛」を考慮して
賠償金額を決めるんだって。
論理的な部分と心情的な部分が入り混じってきて
私も混乱が激しくなってきた・・・
でも、この混乱も
最後のアレキン氏の言葉で
「そういうことか」と落ち着きを取り戻せたのです。
遺族にとって訴訟は感情を浄化する場
私が訴訟や法の下で争われる
「人の命の値段」についてのモヤモヤと
論理と感情の混沌の渦から抜け出せたのは
アレキン氏が語った最後の言葉のおかげです。
「死んだ人を生き返らすことはできないから」という言葉と
「遺族にとって感情を浄化する場」って言葉にガツンと脳みそ殴られて
そこからの「数字の持つ意味」の解説・・・
亡くなった人の命の値段ではなく
残された遺族の感情が浄化できるように
「遺族が納得できる数字」になるわけかぁ
浄化できないと悲しみや怨みを抱えて
そこから動けなくなるからだと教えてくれたよ。
不慮の事故を防ぐのもまた裁判で示される金額!?
不慮の事故を防ぐためにも
起きてしまった不慮の事故における責任を
追求する必要があると人身事故専門弁護士マイクは語った。
これまた、訴訟大国アメリカで
企業や政府相手に高額な賠償金を請求する裁判の
ニュースを耳にしてはモヤモヤした気持ち
を抱いていた私にパンチを喰らわせてくれた話なのです。
むむむ・・・と思いつつ彼の話を聞いてみると
- いい加減な道路標識
- 利益優先で顧客の安全を無視した商品
- ずさんな管理や企業姿勢
で奪われた命
その「死」に値段をつけることで
企業や政府は責任感を強く持つというのです。
こうした企業相手の訴訟の場合
賠償金の基準になっているのが
「1970年代のフォードのピント」の件だんだって
※詳しくは番組みてね
確かに、こうした訴訟がニュースになって
広く知れ渡ることで
政府や企業や我々も危機意識が高くなりますもんね。
金額は責任の重さ
万が一の場合の罪の重さ
これを示しているし
また万が一の場合を防ぐことにも役立っているわけか。
命は1つだから注意を怠らないで
これからも生きていこう。
ついつい雑になってしまうと事故起こしやすくなるからね。
そうじゃないと、誰かを巻き込んでしまうことも起こりうるし。
φ(..)メモメモ
ガサツでドジなのでココはしっかり刻まねば。
ここで命の重さを痛感して
次からは資本主義化してしまった命に
ついて掘っていくことになるよ。
次回からの方が
考えさせられること多くなるよ。
では、また~☆