天国と地獄は死んでから行く場所ではなく、
今この現実世界が天国と地獄そのものだよ。
どうも~久しぶりに若き日の小栗旬と中村獅童の演技を見ることができて
嬉しい気分のプロ独女みつまるです。
人間自体が悪魔と天使を内側に抱えているので
まーあとは理性と本能と感情でそのバランスをどうとるか?
の問題です。
悪いこと、悪行を重ねてもあるで胸を痛めない人もいるし
自分のことよりも困っている人を助けることに尽力する人もいる。
歳を重ねていく中で「自分の生き方」が決まってくると
そのバランスは固定化されてくるようですね。
ただ、自分の中の善悪のバランスは感情によってゆらぎが大きくなる。
今回の映画は酷いいじめにあった少年・村崎十三が
気弱な青年の十三と内包する凶暴な13号との葛藤であり
「いじめ」に対する十三の態度の選択が問われる話でもある。
原作は漫画のようです。
いろいろ言いたい事あるので
さっそく映画部日記書いていきます。
- 赤の部屋での小栗旬と中村獅童の裸の演技に注目
- いじめの主犯・赤井と村崎十三の再会
- いじめる赤井といじめられる村崎の関係
- いじめた側は忘れるが、いじめられた方は絶対に忘れない
- 赤井のいじめの精算と代償
- 人と人の間の作用反作用の法則は時空を超える
- 「自分はやってない」という最後の砦
- 13号は誰の心にも存在する
赤の部屋での小栗旬と中村獅童の裸の演技に注目
とにかく全体を通して
テレビのバラエティや週刊誌スキャンダルでみる彼らのイメージを
吹っ飛ばして「映画俳優」としての輝きを存分に放っている。
この映画の中で大事な空間として「赤の部屋」がたびたび出てくる。
十三と13号しか入れない部屋で
十三はこの部屋から出ようとしない。
13号は出入り自由らしい。
そもそも13号は赤い部屋に外側から入ってきた。
いじめといじめの記憶に苦しむ十三の苦痛と憎悪を全部引き受けにきたようだ。
小学生時代にいじめの主犯でリーダーの赤井により
理科室で手と顔にかけられた薬品(硫酸?)のせいで
十三の顔には焼けただれた跡や大きな傷があった。
でも赤い部屋で13号と接触したことで
十三の顔から焼けただれた後も傷も消えている。
13号にすべて引き受けてもらったせかい、十三は13号に弱い。
「赤い部屋」から出たがらない十三を13号は無理やり外に放り出す。
いじめの主犯・赤井と村崎十三の再会
いじめの主犯・赤井は暴走族の頭を経て
今は結婚し、5才の息子を可愛がる父親になっていた。
家族は大事にしているが
赤井は相変わらずの性格で
弱いモノをとことんいたぶり
暴力をふるう。
住宅建築現場で働くが大人になった今でも後輩や弱い者をいじめていた。
十三の住むアパートの2階真上に赤井一家が引っ越してきた。
そして赤井の職場に十三が新人をして入ってきた。
赤い部屋から13号に無理やり放り出された十三は
このアパートの13号室のドアから外に放り出された形で
青年期がはじまった。
13号の企みで2人は再会するが
赤井は村崎十三の名前を聞いても
まったく思い出しもしていなかった。
ここから13号の赤井への復習がはじまる。
いじめる赤井といじめられる村崎の関係
映画を見ていると
十三の名字は「むらさき」と連呼される。
村崎=紫
赤井=赤
これが二人を象徴するカラーとなる。
正確には
村崎十三は単体で紫なのだが
今は分離していて
「青の十三」と「赤の13号」の2つが存在している。
青と赤を混ぜると紫なのでやはり村崎は紫なのだ。
赤井はとにかく「赤しかない」
- 興奮
- 刺激
- 暴力
- 欲望
- 衝動
- 力
知性の部分や友愛部分はほぼない。
そんな人格なのだ。
ただ、嫁と息子・・家族のことになると
「大事なモノ」への想いがでてくるようだが
それでも赤い。
十三はとにかく「青」だ。
冷静というよりも「静」だ。
ただただ感情を平たんにし無であろうとしているようにも見える。
13号は血の色に近い赤で
とにかく容赦なく凶暴で行動力がある。
力も怪力で、怒りに任せてムカつく相手を惨殺する。
長年復讐心を燃やしていただけあって
なかなか計画的で頭のキレもいいようだ。
2人の心情から抱えている心の「色」の変化に注意してみると
楽しさが2倍になる映画かも。
この二人の関係の因果が二人の心の色の変化によって
時空を捻じ曲げる。
いじめた側は忘れるが、いじめられた方は絶対に忘れない
赤井と十三の青年期までの様子を見ればわかるように
赤井は「いじめに対する罪悪感」を
当時から1mmも持ち合わせていないので
小学校卒業して合わなくなれば十三の存在なんて無いに等しく
すっかり忘れていた。
十三は常にいじめられた当時の記憶と苦痛が鮮明に再生され続けるため
ずっと精神的にも肉体的にも苦しみ続けてきた。
苦しみ続けると同時に赤井への憎悪を大きくし続けていた。
そこで誕生したのが13号なのだ。
十三は当時を思い出しては
赤の部屋で当時のうけた傷から血をふきだしていた。
13号に放り出されるまでは。
赤井のいじめの精算と代償
青年になって家庭を持ち十三の存在なんて忘れて暮らしていた赤井は
13号の復習計画にはまり、多くを失うことになる。
13号は十三から分離した「赤」の部分しかないので
容赦がない。
赤井の子供を十三に誘拐させ
13号はこの子をおとりに赤井を当時の学校に呼び出した。
十三の正体に気が付いた赤井は暴走族時代の悪友後輩から
散弾銃を借りて息子を助けに向かう。
13号は赤井の息子を入れた大きなバッグを
理科室に銃を構え入ってきた赤井の前に滑らす。
赤井はとっさにそのバッグを撃ってしまう。
日本刀を片手に暴れる13号の力におされ
銃も奪われて赤井は追い詰められる中でも「息子を帰せ」と迫る。
13号が息子はバッグの中だと教えて
赤井は驚愕する。
自分が撃ったバッグだった。
赤井はパニックだった。
「俺が自分の息子を打ち殺したのか?」
「それとも村崎が既に殺していて、その後バッグに詰めたのか?」
「何でここまでするんだ」
という赤井に
「全部、お前のせいだろ」
「お前が息子をやったんだよ」
と答える13号。
そうなのだ、全部もとはといえば
赤井が小学生のころ理由もなく
おとなしいから、やりかえしてこないからと
十三をいじめつづけた報いなのだ。
全部、赤井本人が「いじめ」を行った結果が十数年後に
一気にやってきただけなのだ。
13号の生みの親でもあるしね、赤井君は。
そんな赤井君は息子という代償を払ってやっと
自分が村崎十三にあの当時どんな思いをさせていたのかを知り
13号に謝った。
人と人の間の作用反作用の法則は時空を超える
赤井が13号に謝ったことで
十三の内部でも変化が起こりはじめていた。
13号の十三を支配する力が弱くなった。
そして「赤い部屋」で13号は目的を失い抜け殻のようにたたずみ、
十三は真の冷静さを取り戻し、赤い部屋から自分の意思で出ていった。
と同時に、
画面はあの小学生当時の理科室で
赤井に立ち向かい、仕返しをした十三の姿が現れた。
十三も赤井もあの当時にもどって
選択をし直したように見えた。
それ以降2人がどうなったかは映画をみてください。
いじめで相手に心身ともに苦痛を与えて、相手の憎悪の感情を育てても
心から謝ることで、相手の感情に変化をもたらすこともある。
人間関係の中で自分が相手にとる態度や行動により相手にもたらす感情は
必ず自分に返ってくるし、影響してくる。
「時間」とうのは「悪」を許さないんだそうだ。
かならず悪を暴いてその代償を払わせるんだって。
それが自然の法則らしいよ。
悪だけではなく恩を受けたら恩を返そうと思うものだしね。
人は自然と相手から受け取ったモノと同じモノを返そうとする生き物だよね。
「自分はやってない」という最後の砦
十三が13号の復習を黙認していたように
「自分ではない別の存在がやったこと」と思えると
人はどこか気が楽で救われる。
赤井が息子に致命傷を与えたのが
自分が撃った銃によるものか?
13号が既に殺していたのか?
非常にこだわって何度も13号を問いただしていたのが印象的だ。
人は自分が犯す罪に耐えられないのだ。
「罪」の認識あるものにたいしてだけね。
赤井の奥さんも気が狂ってしまったが
息子を村崎に預けた「私のせいだ」と。
「誰のせいでこうなっかた?」
「誰がやったのか?」
自分でないことを必死で証明したいものなのだ。
13号は誰の心にも存在する
自分の人生に起こる「苦悩や苦痛」を
「誰のせいでこうなった」と誰かのせいにしたくなるけど
ほとんどが自分の本音を無視した選択であったり
自分を何よりも優先しないで犠牲にすることを選んだ結果であることが多い。
誰とどうかかわるか?
誰とどんな関係を築くか?
そもそも「その人」を自分の人生に招き入れるのか?
この選択は非常に大事なので
おろそかにしてはいけないね。
人に感情があるかぎり
誰の中にも13号は存在する。
「なりたい自分」のイメージを常に意識して
理性と本能と感情でバランスを上手にとらないと
真っ青で無感情の自分になった時
真っ赤で赤黒い激情で非情な13号を自分から分離させ放っちゃうかも。
「穏やかで、平和な心を保っていたいっ」
と強く思った私です。