もしかして、「パート3」
智恵が本体(本質)で人間が媒体だったりする!?
『しかして、わが意識に9の主の言葉は染み入りぬ』
と、トートは語り
その後、すべてと法則とに於いて「完全であろう」と
『永遠より多き智恵を求めてきた』と言います。
もうこのサイクルの時間は超えているものね(^^;
9の主の言葉をケームの子らに伝えたトートはその後
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やはり、元はアトランティス人であるトートですが
神人から既に「神」になったようですな。
アメンティーのホールの住人じゃん
⇒「智恵の神トト」かぁ、月の神でもあるんだよね? 月はアカシャ年代記なのか?
更にケームの子らへ別れに際し、こんな言葉を送っている。
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智恵と記録の神トトは人から人へ受け継がれる「智恵」の中で永遠に人類と共に生きているのか、それとも「智恵そのもの」としてこれからも人類の成長と共に在るということなのか。
私が『我々は智恵を繋ぐ媒介者(媒体)で”人間”という表現も「人と人の間」の方が本質で…その間にあるのは智恵(法則)と一なる者の意図なんじゃないか』と考え始めることになったトートが放った言葉がこちら
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この世界が「一の意識内」の思考実験か夢(想像)だとしたら
「一」が目覚める前、覚醒する前に「一の席」にスーッと私が座ることも
もしかして可能な世界なのか?
とにかく今は「智恵」がとても重要だということを心に留めておこう。
この世界は「彼の智恵によって存在してる」わけだから。
つづく