「時間が止まった人を見た」という印象的な体験談を2つ読み
私の中で「はっ!?」とする考えが浮かんできた。
「時間が止まった人を見た」という体験談は
「その場だけ時間が止まる」というものだった。
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つまり「時間が停止する空間(場)」が在るということ。
加えてカタカムナの「マカ(間の力)」
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このことをボーっと考えていたら
『時間が停止する場があるってことは…時間の流れが速い場や
時間の流れが遅い場もあるってことか!?』と急にビカッときた。
よく集中・夢中になっていると時間の経過を忘れるってことを
「ゾーンに入る」っているけど、
マジで「時間の流れが異なる場」に移動して入り込んでいるのかも!?
その時、この宇宙のにも電磁場に差があるって話を思い出した。
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私の今の認識(勝手な仮説)では
カタカムナが「アマ現象界」と「オホ(現象化の環境場・間)」を
分けて示しているのは、現象界の中に無数の「オホ」が存在するからで
その場のカカワリごとに中でマ力の作用(環境状況)も著しく差があるってことかと。
更にいうと「オホの中で」
「アのマ」にアメが発生し、それが引きシマり1つの現象物へ進んでいくなら
この世界の生命・現象物ってのは1つ1つが間の凝縮体で、
それが更に大きな間の一部として存していることになる。
だから、何がいいたいかというと
私たちは間の一部であり、間の子であり
間は我々を内包する母体であり
「間>我々 」という間の優位性があるんじゃないかと。
そんなことを考えていたある日
「きさらぎ駅」映画化!のネットニュースが目に入り
そのコメント欄を読むと
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時空の歪み体験談がゴロゴロと寄せられていたのです。
この世界ってめっちゃ「時空間が不安定だな」と思った。
小さな空間場が湧きたつ泡のように繋がって
重なっているだけなのかもしれません。
その1つ1つの泡の中で時間の流れは違うんだろうな、と。
トートが云う「7の主」が「空間の主」で
時間の鍵を握っている意味がなんか解ってきました。
色々な話が繋がってくるね。
夜や人気(ひとけ)の無い時間や場所にいく時は
時間の流れが違う間にのみこまれない様にご注意ください。