ここで哲学A君が「知識と経験の融合作業」における第3の問題解決の為に
仏教思想における「空(くう)」に挑み始めた!!
これは非常に興味深い…いくら賢い哲学A君でも
そう簡単に体得できるものではない感覚のはずだ。
文字情報として、言葉的な理解ではなく
自分の中にどう取り込むのだろうか??
(私は哲学A君の動向に興味津々となった)
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ここでA君は思わぬ方向に進んでいくのである。
これが本当に「空」の感覚の体得なのか?
少し角度がずれて「個にして全、全にして個」の理解なのか?
ちょっと引っかかるところですが、とても役立つ鍛錬法が編み出されている。
空の概念:「空」の状態とは?
「空(くう)」の状態をイメージできてる人ってどのくらいいるんだろう?
「正解」があるのか?正解に到達した人がいるのか、さえ疑問である。
私の場合は、心の中に一切の侵入・干渉を許さない
光によって白とびしたような「真っ白空間」を持つようにしている。
そんでここを実相「空」と「創造のはじまり」としている。
A君はどういった解釈でイメージをするのかな?
という興味が膨らんだ。
A君はまず「空」の概念から語りはじめた。
”「空」とは簡単に言えば「有」も「無」も全て含んでいるという概念だ”
だから、この空の論理に従えば
「体験に対する純粋な感情を邪魔せず、深い思考も同時に行う」
事も可能だろうというわけだ。
空の体得:空の状態をイメージできるか?
文字情報・言語情報で理解しても
それではまだ「借り物の知識」なので
自分の中に取り込む必要がある。
自分の内に取り込むには、
映像・立体イメージでそれを再現できるようにならないといけない。
賢い哲学A君でも
「空」の状態をイメージする為には相当苦労したし、
いまも苦労してるという。(だよね、だよね、そう簡単にできるわけがない)
実際に「空」の世界が見えている人はいるのか?
そんな人が釈迦以降1人でもいるのだろうか?
など、とにかくいろいろと考えまくったそうだ。
考えるだけじゃなく、感覚(体験)としても
ひたすら感じ取ろうとした、という。
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「何もない状態」をイメージしてみる。
でも、これは単なる”無”でしかない…
では逆に「あらゆるものが存在する」イメージか?
でも、これだと”有”をひたすらに思う浮かべているに過ぎない…
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こうして思考の渦にのまれていくA君ですが
彼は諦めなかった。
思考と苦悩の末につかんだ「ある感覚」
A君は自分が取り組んでいる「空」の体得が
トンでもなく難しいことだと理解している。
”このまま考えて考えて人生終わる可能性だってある”
とまで言っているからね。
でも考えて考えて、苦悩を重ねた末にA君は
「ちょとづづ(空の)感覚を掴める気がしてきた」という。
で、その掴みはじめた空の感覚がどんなものかというと
”これを伝えるのが本当に難しい”と前置きしながらも
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って教えてくれた。
ふむ、ふむ、どうやら1枚の絵や1つの立体映像ではなく
イメージの連続した流れでつかむ感覚なようです。
「映画」とかに近いかな?
具体的な方法については次回に(^^)
つづく。