想像していたモノと、全然違った!
「共感覚を持つ人たちが見ている世界」
羨ましいと憧れると共に
共感覚に対する私なりの「こういった能力なのか」の結論がでました!
私が見ている世界・私に見えている世界と
他人が見ている世界はどれほど違うんだろうか?
ということが常々気になっており、
このスレを見つけ飛びついて読んでみた。
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コメント欄も含め、興味深い話が多かったです。
私なりの共感覚まとめ(解釈)いくよ~
気になった話①音が体のどこに位置しているか
私が特に気になった話をいくつか紹介したい。
「音が体のどこに位置しているかってのがわかる」という53番氏の話
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音っていうより音階だな
例えば「B♭」だったら首の後ろ
髪の生え際から少し上って感じ
振動数を感知しているのかもな
※上記ブクマリンク先より
私は共感覚を持っていないが
何となく53番氏が云わんとしていることが理解できた。
子どもの頃、
祖父母の田舎の地域の祭りが好きで
御神輿とお囃子が地域を練り歩くところについて回っていた(^^)
その時のあの和太鼓の音が「腹に響く感じ」が独特で衝撃的だった。
太鼓の音の振動が体の中に入り揺らしてくる感覚なのだ。
しかも必ず「腹」に響くのだ。
他の楽器や音楽、音では体験したことがない衝撃体験。
だから音によって体に響く位置が違うのかもか~ってのは私もわかるのだ。
53番氏は「音階」で位置の違いがわかるようだが
「振動数を感知してるのかも」ってあったから
私が太鼓に感じた「重低音の響き」ってのもそんなにズレてはいないかなぁと。
ちなみに95番氏は53番氏のこの感覚を
『それ絶対音感』とコメントしております。
気になる話②日付時間が図になって見える
私が「なんやて!」と思ったのが
こちらの面白い共感覚
81番氏は
”一年間の日付とか一日の時間が図になるイメージがある”という。
見えるとか、そこまでしっかりした感じでもないんだよな
例えば日付なら漠然と球体があって
その球体の中に日付がそれぞれ転がってる感じだし、
時間はその転がってる日付の中に段差があって
その段差が時間みたいな
※上記ブクマリンク先より
更にこの感覚に「俺も」と手をあげた184番氏は
俺それかも
図を描いてと言われると難しいんだけど
12月はこの辺りとか
時間だと6時はこの辺りみたいな
※上記ブクマリンク先より
この話をよんだ時から
徐々に「あ、共感覚ってもしかして」という考えが
私の中でモゾモゾしだしたのだ。
気になる話③コメント欄にあった体験談4つ
このスレのコメント欄に更に興味深い話があった。
●2番氏
”数字や文字に色や形や質感や性格が見える”
「2」は黄色で明るい性格
「た行」は白色でもっちりした質感
●6番氏
”文字に向きや表情が見える”
「あ」は真ん中よりちょっと左向きの少し見上げている形
「亜」は真正面で少し下から睨みつけている形(怒り)
●7番氏
”味覚に形を感じる”
「甘味」⇒円形で平たい
「塩気」⇒鋭角な金平糖みたいな形
「酸味」⇒細かい突起が無数にある球体
そんな感じの小さい味の粒子みたいなものを感じる
●17番氏
”音のすべてに形を感じる”
このコメント欄まで読んで
やっと「共感覚」がどんなものなのか
私なりに「こういうことか」が掴めたのだ。
◆超鋭敏感覚ではなく「情報を立体化する才能」
私は実際に共感覚の人たちが見ている世界の話を聞くまでは
共感覚とは「可視光・可聴音の外側」の音や光を受信できる人たち
なんだろうと勝手に思っておりました(^^;)
本当はもっと世界は多彩な色や音に溢れていて
一般的な人の五感感度より鋭敏で研ぎ澄まされた人たちなのかと。
いろいろ共感覚の方が見ている世界を覗けた今は
「共感覚」って「情報を立体化する才能(能力)」なんじゃないかと
思っています。
共感覚を持つ人ってのは
目の前の世界を認識処理する時に
脳内に取り込んで再現する時の3次元~それ以上に
情報を立体化⇒世界の作りこみ能力が高いんだろうなと。
192番氏はこう言ってる
脳の神経の分化が普通に進まなかったパターンだな
神経を通る電気信号パターンは同じでも
行き着く場所が違うと味や色を感じるのかな。
※上記ブクマリンク先より
エグニマのようだ…
この世界は私のような大勢の凡人(普通の人)たちの「共通認識」で「一方向性の安定」を見せてくれているだけなのかもしれない。
マジで本質は「空」な気がしてきた。