『宇宙は場所によって物理定数が異なる』ということが
具体的にどういった世界を示すのか、イメージしてみよう!
この世界の法則探しに
夜な夜な「不思議体験談」を求めネット徘徊中の私です。
最近、気になったのがこの話題
↓
私はむしろこの発見の方が「安心」ってか「そうだよね」と思うのですが
なかなか世の中をザワッとさせる発見のようです(‘v‘)
今回は私がいつも感心する掲示板の猛者たちの
ユーモアあふれるやりとりから
「場所によって物理定数が異なるって、どんな世界⁉」を
イメージしていきたいと思います。
光速度不変が崩れたらどうなるのか?
17番氏はこう語る
↓
光速度不変
これが崩れたら現代物理学は完全崩壊
全て無意味だったということになる
まあ所詮 物理学的正しさというのは
「起こっている事象を矛盾なく説明できること」
に過ぎないからな
正しさの上に正しさを重ねる事のみが
正しさである数学に比べたら
児戯にも等しき あさましき学問よ
※上記ブクマリンク先より
確かに、私たちはすべてを「光」頼りに
この世界を見ている気は私もしている。
でも、「光」はそんなに絶対的なものなのだろうか?
光こそ、この世のゆらぎを生み出している源かもしれないのに。
とはいえ、光速度不変が崩れたからって
今までの物理学が無意味になるとも思えない。
私たちが「見る」ことができる範囲の「場」では充分通用する
この世界の法則性を教えてくれると思うけどなぁ。
光速度不変ってのも、
そもそも「真空の空間では」って条件付きじゃなかったけ?
そもそも「宇宙は真空なのか?」っていう大疑問もあるしなぁ
でも光速不変も光速も「場による」ならば
宇宙空間移動における新たな可能性がグンと広がったのでは!?
確かアクァッホスレのムーア人や太陽人が
地球での望遠鏡を使った宇宙観測方法を「なんでそんな方法で⁉」と驚いてたなぁ
「光とレンズ頼りじゃ、見えるもんの見えね~ぞ」的なこと言ってたような。
この観測方法では、同じ宇宙にいるけどムーア人の星は視えないらしい。。
ドラゴンボールに例えるとどんな感じか?
私のお気に入りは、この例え話である(^^)
22番氏が
「ドラゴンボールで例えるとどんな感じなの?」
と投げかけると
35番氏が旨い返しを!
強さはスカウターで測れる
⇒と思っていたら、数値変化する種族がいやがった!
⇒で終わりかと思っていたら
数値関係なく強い種族がいやがった!
※上記ブクマリンク先より
こんな感じだって(掲示板民のユーモア×知識=素敵や~)
このスカウターが我々の現代物理学ってことか
まーだいたい生身の人間が移動できる範囲内では
ちゃんと測れるってことやろ。
物理定数があまりにも違った場の生命体が
こっち(地球)にやってきたらわからんけど。
物理定数が異なる世界の相互認識
私は「物理定数が場によって異なる」という世界をイメージした時
45番氏の意見が一番しっくりときた。
↓
物理定数が異なる世界なんて
お互いに認識できるかどうかも怪しいのに
※上記ブクマリンク先より
そうそう、何となくこの意見が一番「あっ・・・」ってなった。
我々が物理・科学・既存の知識で見るように
別の「場」側も宇宙を視ているなら
確かにお互いに認識できないだろうなぁと。
45番氏の発言は、その前に繰り広げられている
人類以外の(知的)生命体の存在確率話に関連しているので
お互いに認識ってのは(知的)生命体同士って意味合いが強いのかと思われます。
私たちには見えないけど、
我々を見ている存在はいるかもね。
お互いに見えないけど、それぞれにこの宇宙空間に存在している場合もね。
平行世界はここにあるのか?
ここで色々なマンデラエフェクト話に耳を傾けると
また今までとは違う解釈になるかもしれませんぞっ
つづく