古代日本の智に触れ、興味を惹かれ探究中の私です。
すべては「相似象」なのだから、身体もカムーアマ構造で出来ており、カムの力を引き出す「術(すべ)」があるはず…ということでそれを探しに「合気道の祖・植芝盛平」の世界を覗きこんでおります。
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では、続きへ。
先天と後天の融合を成す、そのはじまり「先天を感得する=先天を捉える」にはどうしたらいいのでしょうか?
「八卦掌」では「身体の中の無形の八卦を先天、手足・身体の回転動作などの有形の八卦を後天とし、それらを融合すれば身体は思い通りに動くようになり、天の理と渾然一体となる」といわれていますが、盛平氏は「先天」をどう捉えているのでしょうか?
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どうやら、かなり「八卦掌」の解釈に近いものがあるようです。
盛平氏も「先天は形を有するものではない」とし、
⇒『先天の世界はあくまでシンボルとしてしか、それを捉えることはできない』と。
世界各地の古代文明の智が、この世界のはじまりの起点や 造化・創造の主神を「絶対の一者」とし、この形(図象)で記していますよね。
「中心点の存在」示され、それが「世界の核」だと言っているようですよね。
この図の「日本版」が更に興味深いのです。
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この表紙にでっかく描かれている「〇+、」が「天之御中主」とか「主の大神」を表すといわれています。
「〇の中心にある点」が「意思を以って打たれた(、)」に見えませんか。
つまり、造化の主神の意思が示され、現された時が「この世界のはじまり」だと示されているように思えるのです。
盛平氏は「主の大神(根源エネルギーの大海の主)」と「天之御中主神(主の造化の意思が立ち現われた神)」のことをきちんと別としつつも、まずはこの根源二柱を融合しイメージし捉える様に説いているようなのです。
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盛平がポチ「〇+・、(中心点)」を主の大神としつつも、
現実的には天之御中主神として捉えるよう言っているのは、
「ポチ」を水のイメージとして捉えよ、ということでもある。
やはり、「意志を持った造化の大海の水」なのですな。
先天=水のイメージで、盛平氏が合気道の動きを「神楽舞」で弟子たちに示したということは…「水の流れのイメージ」が身体の動かし方と重なるということですよね。
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なんと、「八卦掌」の円周の動きも「空中や水中を泳ぐ龍の動き」を「地に降ろした」ものなのだそうです。
龍神=水の神だしね。
なるほどなぁ。。
(つづく)