「別天津神」の存在、その端・緒→「兆し」を捉える。
カタカムナやオアスペが示す「カム―アマ構造」が我々の精神や心だけではなく、『身体・肉体』にもあるはず!ということでカム―アマの真の力を発揮する肉体側のスイッチを探して「むすび合気」の世界を覗いております。
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では、続きへ
盛平氏が深夜稽古中の神秘体験=黄金体験で感得したという「松竹梅の剣=造化三神の働き・造化の真理と繋がり技を生む三角法」を我々は如何に感得すればいいのか?
いきなり「造化三神の領域」を覗く・触れるは難易度が高そうですが、別天津神(別界の神・虚界の神)には他に二柱いらっしゃいます。
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「盛平の合気=むすび合気」なのですから、「むすび」を象徴する「形」がその神名に示されている宇摩志阿斯訶備比古遅神の兆しを捉えることから考えてみましょう。
そう「葦牙(あしかび)」とは「葦芽」のことなのです。
「ウマシアシカビヒコヂ神」とは「葦の芽ぶきのような強い生命力に溢れた状態」を示しております。
「葦芽(あしかび)」があらわす形
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「葦の芽」として現れた形と同時にここに「現れていないがこの形を作る・構成する形のカカワリ」がある。
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それが「こちら」
ここに「造化三神の姿・造化三神が実を生むカカワリ」が見えてくるのではないだろうか。
更に、「葦芽の出現」を図象で描いてみるとこうなる。
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天地の始めに現れた「天之御中主神」を示す極微の一点と比較してみると
ウマシアシカビヒコヂ神は天之御中主神の「ウツシ」にも思えるが、その姿は極微の一点よりも「葦芽形」と、もっとはっきりとしたものになっている。
盛平氏曰く、
『宇摩志阿斯訶備比古遅神に象徴される”〇に出現したポチ「()」”は物実とのむすびの一点(機)である』
「芽吹き=生命の生吹(起こり)」というのは、先天の世界にあって、後天の世界との「むすび」をなす『一点(機)』なのだそうです。
故に、そこを捉えることが「兆しを捉える」ということになる。
先天と後天のむすびの一点を捉えることができたら、盛平氏が感得した「造化の神髄」に我々もふれることができるんじゃないかと、私は考えております。
(つづく)