そういうことかぁ…シェルドンは無駄に「友達」範囲を広げない。
むしろ「極狭」設定にしている、安全のためらしい。
友達100人出来るかな~♪
という謎の歌がテレビから流され
「友達は多いほどいい」みたいな風潮で育った私の経験から…
シェルドンが正しいとしか言いようがない
「生き方」も考えさせられる、学び多きドラマ
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今回のシーンはシーズン2の第5話より
いつも職場の大学まではレナードの車で向かているシェルドン
本日はレナードが運転してくれないため
ペニーを頼って交渉中
シェルドンは先日ペニーが「私たち友達でしょ」と言ったことを思い出し
その件を確認してから、「友情の権利」を行使することを宣言!
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ペニーの「Yes, we are friends.」という返事を確認してから
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Then I hereby unvoke what I'm given to understand is an integral part of the implied convenant of friendship.
(ならば、これにより僕が友情を理解する為に与えられた「友情の暗黙規約」に不可欠な権利を行使することにする)
⇒じゃあ、暗黙の了解で友情として認められた権利を行使する
それは何かというと~
”The favor."
「お願い」「頼みごと」
好意による手助け、サポート、善意からの親切な行動
どうやら、この言葉にペニーも折れてたんで
友情に付随する権利・責任・義務なようです。
このように「友達」というのはどんな関係性があるものか
感情や心情面だけでなく「関係に付随する権利・責任・義務」を提示されることで
「あ~、やっぱり友達ってのは極限られた人との関係性だな」と明確に見えてきたわけです。
友達というのはかなり限られた範囲となるわけですな。
信頼できて無償サポートできる、そんな相手がひとりでもいればいいじゃない。