52首の「ナギサヒコ」は「オキツ」がついておりませんが
「オキサカル」と「オキツカヒベラ」に挟まれております。
◆カタカムナ第52首を詠む
声にだして音を響かせウタの示しをイメージしましょう☆
【カタカムナ第52首】
タマキソラ アキクヒノウシ オキサカル
ナギサヒコ オキツカヒヘラ ナミ
この歌は…もしや、縄文の数学に通じる内容になっているかも。
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◆一音一音の示し
「ナギサ・ヒコ」
- ナ(核、重要なもの、何回も、夥しい)
- ギ(キ<ギ 気・エネルギー、発生)
- サ(差、遮り、現象の干渉)
- ヒ(根源から出入、最初のフトマニ・フトマリ、アマ始源)
- コ(転がり出入、くり返しの運動・働き、回転運動)
ここから音を纏めて「ことば」にして解読を
◆ナギサ・ヒコ とは
「ナギサのヒコ」とは何ぞや
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①生命・現象の核となるモノ、それがナギ(核エネルギー差を持つ)のヒコ(超弦)
②核エネルギー差(ナギサ)を以て発生・運動を続ける「ヒ」(=ヒコ)
③何回も何回も差を以て発生を繰り返す(ナギサ)「ヒ」の回転粒子
この世界(現象・物質界)というのは
原子核のようなそのモノを成す「核」がもつエネルギーのカカワリ、
エネルギーの干渉によって成り立っている世界っぽいことが示されているのかな、と。
んで、その万物万象のそれぞれの「核」ってのが「ミナカヌシ」ってことやろうね。
大宇宙~小宇宙までそれぞれの「アマノミナカヌシ」ってことやな。
◆ナギのサを持つ「ヒコ」とは
「ヒコ」についてなかなかイメージできないでいた私に
光を与えてくれたのが「縄文の数学」なのです。
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そこには数学や”この世界の法則”に関する知識が見られるのです。
その縄文の紋様に見られる「相対図の素粒子」
これが「ヒコ」であり「ヒメ」なのです。
んで、私は「ヒコ」は弾性と慣性をもつ「弦(超弦)」じゃないかと思うとるんです。
「ヒコ」が本来の「天と地結ぶミハシラ(天之御柱)」であり
そこには様々な生命・現象のプログラムがカムウツシされているんじゃないか、と。
その御柱である「ヒコ」がエネルギーのカカワリ(干渉)を受け
弦の様に変形しながら、回転運動を持続して
「生命・現象化」を起こしているんだろうな、と思うようになりました。
◆奥津那芸佐毘古神
黄泉の国から帰ったイザナギが禊の為に
脱ぎすてた左手の手纏から生まれた「奥」がつく三神の1柱です。
イザナギの左手の手纏から⇒「奥」三神が生まれ
イザナギの右手の手纏から⇒「辺」三神が生まれている
左(ヒタリ)⇒ヒ(奥から湧き出す根源の力)
右(ミキリ)⇒ミ(辺≒縁を成す、形成・生成・現象化の力)
こんな感じのことが読み取れます。
日本神話の解読的にはこの神々に名に見る「奥津=沖」で、
「辺津=海辺」って示しらしいです。
沖ほど潜象界と繋がりが濃い…そんな海の神秘を感じます。
ちなみに「ヒコ」は男性を示す古語です。
左右の手纏から生まれた2組の3神の中で「ナギサヒコ」だけ
人格的な名称を持つ理由も「ヒコ=現象の素粒子で弾性を持つ」からって
思うと何となく納得できるような気がする、私です。
(つづく)