古事記の解読をはじめた、私です。
序文から驚きの連続で、歩みの遅い解読になりそうな予感。
古事記の解読に、日本人の血が騒いでおります。
古事記は「詠む」ものらしいのですが、どう節をつけて詠めばいいのか、まだそこまでは到達できていない私です(;;)
カタカムナの解読→古事記の解読、という一見すると「逆やろ~」って順を追っているのですが、私としては「固定観念」「既存概念」に囚われず、『日本語の音の示し』を掴めるカタカムナの解読を先にしたことは大正解だったと思っております。
【古事記:序文~①】
臣安萬侶言す(まをす)。夫れ混元(まろかれたるもの)既に凝りて、気象(いきかたち)効れず(あらわれず)、名もなく為(わざ)も無く、誰か其の形(かたち)を知らむ。
古事記の序文なのですが、色々と情報が詰まっております。
まずは古事記編纂の責任者がきちんと最初に名乗っていること!「安萬侶」の氏姓は太朝臣で723年没の人物ということがわかっているそうです。
私的に「読みの音」や「現代語訳」から気になったところをチェックしてみた。
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- 言す(まをす)=意:申し上げる
- 混元(まろかれたるもの)=意:宇宙のはじめの混沌(ヌン・大深淵)
- 気象(いきかたち)=意:気+形のくまどり
- 為(わざ)=意:作用(力・力の関わり)
「漢字」→「読み仮名」に思考の順番が行きがちですが、たぶん逆です。音に響きの連なりが先にあって、その音が示す意味を「漢字」で当てているんだと思われます。
気=イキ 、象=カタチ であるということが一番の収穫っす。
古神道のある唱言葉に「我が身は宇宙の象気にして、魂は元一の霊化…」というものがあるのを思い出した。
「象」が示す意味を詳しく探ってみると
- 目に見える形・姿
- 目で見られないモノを何かの形によって示す
とあり、「我が身は宇宙の象気にして…」の意味が非常に味わい深くなってきます。
我われの身というのは、目には見えない宇宙全体を写した「特別な姿形」の存在らしい。まさに「ウツシ」だったわけです。縮小コピーとはまた違った意味があると私は思考えております。
それに、この世界のはじまり・天地開闢の前に「混元(混沌)」が在ったことが明記されている。「無」からではなく「混沌」からこの世界ははじまったのです。
エジプト神話にある原始の海・ヌンやエメラルド板でトートが語った「大深淵」と、古事記が示す「混元」というのは”同じ”なのではないでしょうか?
私たちが見ている「現象」、私たちが 確かだと持っている「現象界」というのは、陰陽の関わりによる陰影や光の色の濃淡が見せる「潜象の形(くまどり)の現れ」かもしれないのです。
出だし二文だけで、ゾクゾクと鳥肌っすな。
(つづく)