古事記序文の解読をしていて「邦」と云う字に込められた、
先人たちの意図にやっと気付けた気がする私です。
カタカムナの解読+日本語の音の不思議に触れてから、「古事記」を読むことをおすすめします。そして、重要なのは「古事記」は必読の書だということ。
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では、古事記の解読の続きへ。
まだ序文ですけどね
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境を定め邦を開き、近淡海に制めたまふ。
(「古事記」序文より)
この一文は成務天皇(若帯日子)の事績を伝えるものです。
まずは、日本語は「音のヒビキ」が大事なので 読みを確認しましょう。
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”境(さかひ)を定め邦(くに)を開き、近淡海(ちかつあふみ)に制め(をさめ)たまふ。”
意:(成務天皇は)国々の境界を定め、国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)など諸国に首長制を置き、国家を開き 近江宮で統治なさり
ここで私が気になった(注目)したのは「邦=くに」という表現です。
そもそも漢字の「邦」の字に「日本の」という意味は無く、日本で付け加えられた意味となります。
邦=国家、国土、大国 を示す「漢字」だったようですが、この一事に「日本の、我が国の」の意味を加え付けたのには深い意図が込められているように思えるのです。
「邦」の字の成立ちについて調べてみると、非常に興味深い話が出てきました。
幾つかある語源・成立ち説の一つだと思われますが 私の中では「これだ!」とビビッときたのです。
「邦」が国土、土地を示すことからすると、
「邦」とは木々が良く育ち、緑豊かで自然と人々が並び「一つ」となっている土地のことだとわかります。
んで、これは日本がある場・界を「葦原中津国」と表現することや、「縄文時代の人々の暮らし(在り方)」と重なるのではないか、と思ったのです。
古事記や日本神話では「人々」のことを「青草」とか「葦原」とは植物のと重ねられ表現されていますよね。
それに縄文の智恵を探究していった結果、私の中で出た1つの結論では「縄文人は森の人(森の精霊)だった=神人だった」という考えがあるんです。
自然と共存というよりは、自然の一部という以上に「自然と一体(自然の内の存在)」だったとしか思えないのです。
更に、縄文の痕跡、古事記や日本神話が示す「人=植物」の話しに繋がる、最近みつけた こちらの「ヴォイニッチ解読動画」を見てみてください。
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解読本では神降ろしされた「トート」がその内容を語り、掲示板のほうでは「読める」というひとが1ページ毎にかなり詳しく解説翻訳してくれています。
※トートの解説は、神降ろしによる自動書記だと思われます
”植物が人間を創っている”
私はこれが単なる戯れ言には思えないのです。
「邦」が示す「日本の」という意から、この字に勝手に色が見えたので貼っておきます。
(つづく)