「千五百」とかいて「ちいほ」と読むのかぁ…
音が先に在ったから、逆か⁇
子だ後の探求から⇒古代日本の智の探求にどっぷりはまってしまった私です。
日本語のヒビキの神秘構造~神代文字・文献~古神道の世界に魅せられ、今は古事記の解読に挑んでおります。
日本人なら古代日本の智を受けとりましょうぞ!
では、解読の続きへ
しかして、伊耶那岐命 詔りたまはく、
「愛しき我がなに妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋を立てむ」
とのりたまはく。
(「古事記」より)
「そんなことするなら、あなたの国の人草(人間)を一日に千人絞め殺してやる!」
と言い返してきたことに対するイザナギ命の反応がこれ。
『汝がそんなことをするなら、私は一日に千五百の産屋を立ててやる!』
(※つまり「一日に1500人の赤子をこの世の誕生させるよ」と)
この夫婦喧嘩?夫婦決別の話し合い?によって、なんと地上の人草(人間)の生命秩序(人間生命の法)が1つ結ばれてしまった。。
今回はこの記述の中の「こちら」の表現に注目して、読み解いていきます~
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「ちいほ=千五百」という数を示すだけではなく、「その産屋がどういったものか」を同時に示していると思えたのです。
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「雷伊火(穂)」=(天の)神霊力が聖なる火・穂と成る「産屋」
「雷生矛」=(天の)神霊力が生命生み出す矛として中央に立つ「産屋」
更に「産屋を立てる」というイザナギ命の言葉にも注目しますと、
地上の造化(創造活動)というのは、どうやら造化の中心となる処に生成の間たる社(殿)とエネルギーの柱を「立てる」ことから始まるってことが理(法則)としてあるらしい、ことがうかがえます。
「産屋=うぶや」とは生命のはじまりの間(アマ)であり、「ウ声(はじまりの伊吹)」の力・エネルギーの増殖(ぶ)の間(屋=宇内)であるようです。
(つづく)