プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】黄泉の国編~生成祖神の離別により「人間に与えられた生死の掟」

なんでだよ~ もしかして、夫婦円満なら「人草」たる我々”人間”に「死」は無かったのか?? それか本来は屋久杉とかみたいに「長い生」をもっていたのか??

ということで、古事記の解読を進めましょう~

 

 

続き

是を以ち 一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。

(「古事記」より)

 

イザナギ命とイザナミ命の「事戸度し(ことど・わたし)」によって、人の生死の法則の重要な一項がさだめられたぞ~

 

ご丁寧に「必ず」って言いきってくれてるよ~

この部分は「人に生死のあること」と「人口増殖の起源」の説話といわれております。

 

ですが、私はここに「人の生と死に関わる重要な示し」を感得したのです(?)

「一日の死者1000人:新生児1500人」という単純な「死<生」って話じゃなく、「1000:1500」って話でもなく、もっと大事なことが記されている!!

 

ここにきて、私はイザナギ命が「千五百の産屋を立てる」といった言葉がより強く光り出したのです。

 

ここの場面で私に見えたものを端的に表すと

何が言いたいかと申しますと

一日に1000人を黄泉の国のイザナミ神に殺されても、地上界にはイザナギ命によって「一日に1500人の新生児と1500人の新父と1500人の新母が生成される」ということ。

 

毎日「一」奪われても、地上の造化力はその「三倍」の造化(生成化育)を成すと宣言されているのです。 男女⇒夫婦⇒父母という変化・生命の更新が重要なんじゃないか、と。

 

夫婦が子を授かる時、これはその夫婦が「神の造化力」を体現しており、更に「父・母」となることで「子の世界の中心(御中主)」であり「子の世界を照らす太陽(天照)」になるってことを意味してるんじゃななかろうか。

 

もしかしたらイザナギ命が「産屋を立てる」と宣言してくれたことで、我々人間は「人草」たる大自然の一部(草植物)的存在から、神の造化力をウツシ与えられた存在になったのかも。

 

(つづく)

 

 

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