大衆化・愚民化させられた我々が「個性・自主性・主体性・創造性」を取り戻し 力ある個人に還る道がここにある、ね。
日本人を奴隷化し、日本を海外に売渡し、己の私腹を肥やそうとしている「日本の政治家・官僚・財界人」により、日本が滅ぼされようとしている。。。という危機感を感じながらも動けずにいる「心ある日本人」の同志の方に是非とも読んでいただきたい1冊
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本のタイトルは「人生は自ら創る」ですが、己の人生を自ら創る事と 心ある日本人が新しい日本を創ってゆく事の基本は同じなのです。
では、安岡先生の講義(お話)の続きへ
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安岡先生は我々が「己の人生を歩んでいく為に」=主体性・自主性・創造性をもって生きてゆくためにまずは「五計を立てる」ということを示されています。
「五計を立てる」を簡単に説明しますと、
- 「生計」=人間(私)は如何に生きるべきか
- 「身計」=この身を如何に役立てるべきか
- 「家計」=如何に家を治めるべきか
- 「老計」=如何に老いるべきか
- 「死計」=如何に死ぬべきか
という「在るべき自分の姿」をきちんと描き持つことが大事ってことらしいっす。
たぶん「如何にあるべきか」と問われた時、自然と「正しくある為には」と天の理に従って「善い在り方」を思い浮かべると思います、それが人間の「性(真性)」でしょう。
自然と天の理・正道に従った「己の在り方」を描き、人生設計を立てることができるわけですな。
ここからが重要なのですが、安岡先生曰く「五計を立てる」と(その後)自然と「生死一如であるとわかる」ところに到達する、と。
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そして、「ここ」に到るのだそうです。
”殀寿(ようじゅ)たがわず、身を修めて以って之を俟つ(まつ)は、命を立つる所以なり”(by 孟子)
この孟子の言葉の意味をどう解釈するか?
検索上位にでてきた「立命館大学」のHPにあった解釈によると
『人間は若くして死ぬ者もいれば、長く生きる者もいるが それは天命で決められていること故どうにもできない。だからこそ生きている間は我が身の修養に努めて天命を待つのが人間の本分を全うすることなのである』ということらしいっす。
(‘~’)実は私は「孟子の言葉」にも「立命館大学の解釈」にもピンときていない。
だから自分でじっくりこの言葉を咀嚼してみた。
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”生ある者に「死」は遅かれ早かれ必ず訪れる、
でもだからといって「ただ死を待つ生き方」では せっかく生まれてきた意味がない(虚しい)…己の生命を有意義なモノにし、命尽きるまで身心の修養を積み前進してゆく、そういった生き方ができるのは「命を立てる(立てた)」おかげである”
ただ死ぬために生れてきた虚しい存在になるのではなく「人間らしく在る・生きる為に」立命に至らねばならないってことじゃないか、と。
私から見える「私の世界・私という生命」をどう創造してゆくか、天との共鳴により導き出し 使命をもって生きることが本当の「天命」なんじゃなかろうか。
この世界の一部~世界の端の「極微の存在」だった「私」が、この世界の中心になる。
それが「知命・立命」によってもたらされるってことでしょうね。
(つづく)