私は「盡心」の意味が「心を深く知る」ことが本質にあることに最初違和感があった。
そこを解決に導いてくれたのが「盡力(尽力)」という言葉だったのです。
今の日本はおかしい!と感じている「心ある日本人」のみなさん、私もです。
そんな中で「日本の中枢にある権力層の腐敗」に対し、個々人で何をどうしてゆけばいいかわからない…と絶望の中 身動きとれずにいる方に是非とも読んで欲しい一冊があります。
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日本を愛し、日本の今を心配している「心ある日本人」がまずせねばならないのは、「真に生きる」個人の力を取り戻すことからっす。
大衆化・白痴化・弱体化・無力化された我々の個々人の国・社会を創造する力を取り戻すには、まず我々が個性・自主性・主体性・創造性をもって生きる姿勢をゆるぎないものにする必要があります。
そして、大きく世の中を動かす「機=特異点」を突くためにも「真理を得て、真理に沿った生活」を送ることが大事だと安岡先生はおっしゃっています。
んで、そのための実践として孟子が説く「盡心」の意味を考えよって課題が出された。
「盡す(つくす)・心」=「心を盡す・心を尽くす」
という言葉の本質は「心を研究し、その内にある全てを把握し尽くすこと」にあると安岡先生は教えてくださいましたが、「心を尽くす」ってちょっと違ったニュアンスで普段認識していないでしょうか?
「心を盡す(心を尽くす)」=「心のすべてを向けて、そのことを為す」
というか、”一心にそのことに集中する”というような意味で私はこの言葉を捉えていたんです、これまで。
「盡心(じんしん)」を説く中で、安岡先生は「盡力」の意味にも触れてまして、
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「盡力(尽力)」とは「力を盡すこと」とし、
その意味は”ありったけの力を発揮すること、全身全霊をもって尽くす”ことだと。
これは、私もこの認識・解釈でしたのですんなり納得できたのです。
でもここでなんか思考のねじれつーか綾掛けが起きてきて、「はっ!」としたのです。
- ありったけの力を発揮する
- 全身全霊をもって全ての力を出し切る
その為には、まず「己のありったけの力がどんなものか?」「自分がどういう力をその内に秘めているのか?」深く知り把握する必要があるんじゃないか!と気が付いたのです。
己が持つ力のすべてと、その力の発揮・操縦法を知り得なければ、そもそも「尽力」できないわけです。
ということは「盡心」というのも、「全身全霊を尽くして、心を発揮するためには⇒まず己の心の内に秘められたすべてを知り把握しなければならない」ってことですよね。
安岡先生の「盡心」の回答
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我々の心も研究すれば研究するほど、神秘的なものである。
その「心」というものを遺憾なく究明する・解明すること。
だと、説かれています。
で、これが結局は「真理を学ぶ」「道を修める」ということに繋がるとおっしゃるのです。
「真理の道」というのは、己の心に真剣に向き合って その内奥にあるものの全容やその力を解明・発揮することに通じていると。
欲か考えてみれば、未だに人類の智は「心の解明」に至っていない…ので本当に「自分の心」をもって「盡心」できれば 神の領域の智へたどり着けるのかもしれません。
(つづく)