日本語のヒビキが真理の智恵に基く創りとなっていることと同じくらい重要なのが「歌文化」だと思っている私です。
でも、詩も歌も遥か昔に「国語の授業」でしか嗜んだことがない私ですので、どのように詩や歌を「作れば」いいかわからない。。。
「プレバト」なんかで俳句の時覗いてみると、多くの方が夏井先生に怒られ、俳句を直されている。。。どうやら、直接的な表現をもちいらずに「聴いた人が情景をイメージできる」ように詠む俳句が良いらしい。。。(‘~‘)う~ん、そういうもんかの~
私の中では、そんな現在評価される技巧的な歌詠みが、はたして言霊百神に通じる日本語のヒビキを発するものなのか凄く心にひっかかるものがあったのです。
この私の感じている違和感…やはり意味があったようです。
⇓
古代日本の智×日本語のヒビキ(言霊)×歌文化
そこにある「基本的なモノ」が「この本」を読んだことによって見えてきました~
この本の著者:渡部先生(上智大名誉教授)はこんな人やで~
私が読んだのは「万葉集のこころ 日本語のこころ」の方です。
ここに古代日本の智が詰まった「歌文化」その「歌」を如何に創造すればよいかが書かれていおりました~。
⇓
”素直に、心に湧いてきた言葉を詠めばいい”
これだけだった。
歌は心の奥の自分との交流でいいのだ。
かっこつけた歌や技巧的な感じの小難しい表現とか、まったく要らない。
むしろ、そういう風に歌っては「言霊」の力は発揮されないようです。
心に湧く「素直で感情を伴った言葉」っての言霊は宿り、心を振動させるようです。
だから万葉集にあるような大和言葉だけで歌われた和歌は、現代の日本人が詠んで聞いてもその歌人の心情に共感できるようになっているんですって。それと同時に素直に読んでいるからこそ、その時の歌人がみた情景も見えてくるだと。
「心の奥から湧いてくる言葉」というのは、「心の奥=先天と繋がる」処故に魂・御霊のヒビキそのものなのかも。
と、いうことで早速感じたままをぽつぽつと歌に詩に詠んでみている私です。
イザナギとイザナミの「あやになし、え〇〇〇よ」って讃美の詞も真似してとりいれたりしてるぜ~
一日一歌詠もうぜ~♪