水蛭子は葬り去られた子ではなかった…
「古代日本の叡智」に近づくために、今も我々の身近に隠し示されているであろう古代の智恵の数々を探す「祖先からの宝探し中」な私です。
「日本語」もその祖先(古代日本人)からの智恵の宝、でもその日本語を真に使いこなす為と更なる古代の智に近づくために「古事記の解読」に挑戦中っす。
よ~し、ではイザナギ・イザナミの初めての子「水蛭子の誕生」その後を見てゆきましょう。
此の子は葦船に入れて流し去りつ。
(「古事記」より)
私はこの部分を日本神話を探って知った当初は「なんて酷いことを…」と思うておりました。「水蛭子」がイザナギ・イザナミの生成した子に数えられていないことに加え、生まれたばかりの未完成状態の子を船に入れて海に流すなんて(><)と。
ところが、わざわざ「葦船に入れて」と掛れている点と「(海に)流し去(や)りつ」という音のヒビキが次第に気になってきたのです。
「葦の船」ここにも「葦」が出てきています。
この「葦」も造化三神の次に出現された第四神・ウマシアシカビヒコヂ神の「葦芽」の示しと深いつながりがあるのではいでしょうか。
「葦の芽」が示す「生命の芽(はじまり・起こり)」の形が示すもの…
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私はこのように解釈しております。
「カム×アマ」の交わりから発生する「生命・現象の芽」とは、まさにこの形なのではないでしょうか。「葦の芽」にとても似た形ですよね。
んで、この「生命の芽」こそ アマ(アマ界~小アマたる個々の生命現象)の中心にある光(生命核となる光)なのです。
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この形…何かに似ていませんか?
何かの「ウツシ」に見えませんか?
そう「はじまりの点」である天之御中主のウツシの光なのです。
ということで「葦=生命の芽(生吹)」であり「天之御中主のウツシ(相似象)」ということを踏まえて、「葦船」を考察していきましょう~
葦船とは「正八円体を骨格とするの船(空間場)」であろうと思われます。
ちなみに、この「正八面体の中に正四面体がはいった状態」は何を表しているかというと我々の「魂(御霊)」なのだそうです。
正八面体の中で揺れ動く(振動している)正四面体ってのが我々の魂(霊魂)の姿なのだそうです。
正八面体はカタカムナの中心図が示す立体でもあり、
エメラルド板ではトートが語る「ピラミッド」の真の姿でもあります。
ピラミッドは地上から見えている部分とその反転たる地下部分から成る1つのものだと。そんで地下部分の方が本体っぽいこと言ってたしな。
何で「水蛭子(不完全な子)」が「葦船に入れられ海に流し去(や)られた」のかというと、「完全体に成るために、天之御中主の神霊力と繋がる空間箱(葦船)に入れた」のではないか、と考えられるのです。
「海」は根源(大深淵)の原始の海のウツシですし、「うみ=生み・宇水」ですからね。生成の根源の胎内に「生命の芽(生命核)」として戻してあげたのかもしれません。
この形は稲穂の実りにも見えるし、植物の種子にも見えますよね。
「葦船」とはそういった「生命の起こりのもの凄い力」が練られる間なのではないでしょうか。「力の増幅装置」のようなものかも。
「船」=ふ・ね⇒⇒「ふ(増殖)」+「ね(根)」=増殖の根
とも読み取れますからね。
そう、水蛭子は立派になっていずれ還ってくるのです。
(つづく)