生き方の「迷わぬ道」=つまりは「正道」探し。
私は思う。安岡先生以上にはっきりと、明確な表現で
この「正道」を示してくれた人いないんじゃないか、と。
まずは『武士道』の精神を心の芯柱に置いてから、
安岡先生の教えを得ることをおすすめします。
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安岡先生は東洋哲学の偉人です
こちらは安岡正篤氏の教え入門者用の「安岡正篤ダイジェスト( 案内本)」です。
前回「人がまず学ぶべきことは徳慧の学問だ」ということに触れました。
徳慧の学問=人を創る「人間学」
この学問が盛んにならなければ、民族も国家も栄えないって安岡先生云うてましたね。
今回は更に「人間学」についての理解を深め、
では、人は何の為に学ぶ(必要がある)のか?という点まで攻めたい。
安岡氏にとって学問は2種あり
①知識の学問(機械的知識)
②智慧の学問(知識+経験を積み→思考反省を重ね人徳を練る中から湧き出てくる 人格的な学問)
「人間学」が目指すところ、というか人間学を学び到達すべきところとして
人間学の二条件が示されていますが、これがまさに!
『我々、人は何の為に学ぶのか?』の答えでもあると思われます。
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◆人間学の第一条件
そして「智慧の学問」即ち人間学の第一条件として、孔子、孟子以後の最大の思想家である荀子のいうところをとる。つまり荀子が、本当の学問は就職や立身出世のためではなく、『窮して困しまず、憂えて意衰えず、禍福終始を知って迷わざるが為なり』というのを示している。
つまりどんな環境・状況下におかれても、精神は常に安定しているため
「我・己」に真の主体性が立つというわけです。
惑うことなく常に”真に自由な状態”で在ることができる、と。
私的意訳でいえば「真に、自分が生きる世界の中心で在りつづけられる」ってことかと。私が生きる世界という大アマ~私という小アマの「アマノミナカヌシ」に成るために人間学を学ぶ必要があるのです。
ただ「何の為に学ぶのか?」と問い、その答えが「安定と自由」だとすると
経済的な安定と自由を得る為と思われてしまいそうですが
安岡氏が示しているのは「魂・精神の安定と自由」であり
どんな状況でも迷わず・惑わず「真の主体性を以って生きる為に学ぶ」ということ。
トートの教えや古神道の教えに通じるよね。
んで、自分が周囲の環境や状況に迷い・惑うこと無く真の主体性を以って生きることができるようになったら、その先にもう1つ目指すところがあるのです。
(つづく)