自分の将来や選択すべきことを「誰かに相談する前に」
本日の賢人たちの言葉に耳を傾けて欲しい。
私が尊敬する賢人・偉大な哲人「安岡正篤氏」ってこんな人
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では、人間学を修め『自ら靖んじ、自ら献ず』を得ることの重要性に関わる話を1つ。
山田方谷は、ある人物(備中松山藩の重臣の一人)が自分の出処進退について真剣に訊ねたことにたいして、こう手紙を送っているそうです。
「役所で相談された時も、お手紙をいただいた時も即答しなかったのは、自分のことはそういう人に問わないで、もっと検心の工夫をしていただきたかったからです。
人が知りうるのは外形だけで、心がどうかということはわかりません。だからこそ自分でどうすることが義かと問うことが大事なのです。
~(中略)~
あなた自身の検心の工夫がよくここに至ってほしかったからです。
工夫がここまでに至っていれば、進むもよし、退くもよし、外形に囚われる必要はありません。どうするにしろ古人の教えに合致するでしょう。私が何を申し上げるまでもなく、あなた自身でよく決定できることです」
これが真に誠意ある人の対応ではないでしょうか?
山田方谷氏がいう「工夫がここまでに至っていれば」の”ここまで”
というのは「自靖自献の実践・実行」のことなのです。
自分が納得いく答え、自分の悔いなき選択・決意というのは自分の内にある。
だから自分の心を深く探り・向き合いうことが大事だと。
更に徳慧の学問を修め・己の人物を練ることで「自靖自献」の自己を手に入れることで
どんな選択・決意をしようとも、その先の運命は自らが拓いてゆけるのだと。
天命・使命に向かって進むことをやめなければ、どんな選択をしようとも最終的には成すべきことを成すに至るのだから「間違い」にはならない。
自分の人生に関わる決断を「相談受け付けてます」みたいな相談業を商いにしている人や 「私、よく相談されるの~何でも相談して」みたいな素人相談請負人に相談する前にこの山田方谷氏の言葉を思い出してほしいっす。
誰に相談しようとも結局は「自己責任」なわけですし
ここはやはり山田方谷氏が云うように「検心の工夫」が必要なんだと。
山田氏が説く「検心の工夫」
- 自分でどうすることが「義」かと自身に問い続ける
- あてにならない客気が消えているか?
- 人に勝とう勝とうとする気持ちが消えているか?
- 人の癇に触るような気持ちが残っていないか?
- 保身は考えていないか?
こうして心から雑念を消し、外形に囚われることなく、自らの心の声に耳を傾けると
天と己(の良心=誠)に従った決断ができるというわけです。
山田方谷氏って何者や⁉と思い調べてみた。
やはり「誠」の人だったようです。
本当に誠意ある対応ってこういうことなんだなぁ。
(つづく)