安岡正篤氏の教えを追っていたら、アレキシス・カレルの言葉に触れることができた。
これも安岡先生が蒔いてくれていた種の1つなんやろうか。
安岡先生の教えに関する「こちら」の本を愛読中
この中で紹介されていた「アキレス・カレル氏の言葉」がとても印象的です。
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アレクシス・カレルとはフランスの外科医・解剖学者・生物学者で、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞している人物です。
そんな彼の言葉をどうぞ
内面生活という私的な、隠れた、他人と分け合うことのできない非民主的なもの、
これこそあらゆる独創性の源泉であり、あらゆる偉大な行動の出発点である。
これのみが個人をして群衆の間に在って自己の人格というものを保持させ、現代都市の乱雑と騒擾との中で、精神の自由と神経系統の平衡とを確保させるのである。
(※アキレス・カレル『人間、その未知なるもの』)
自己の内面生活が如何に重要なものであるかを、非常に簡潔に述べてくれている。
生きる上で最も優先すべきは「内面生活の充実」ではないだろうか。
なのにどうしてなのか我々は群衆の中にあって、外(他者)から見える「自己の外観(他者から見た自分)」ばかりに気を取られ、終始 その手入れや修理に奔走している。
そうなると必然的に「内面」は放置され、荒れ、ゴミ屋敷化するか空洞化するかに成ってしまう…という群衆の中に在って無思考・無自己な本質的には「無の存在」に成り下がってしまうわけだ。
思考も自己の人格も奪われ・腐らせられる前に
自らそれらを「外側」に委ねることをやめ、守らねば。
望む現実、理想の自分、理想的な環境、理想の社会・世界を
内面生活を充実させ描いてみることに意識を向けてみると
何かが変わりはじめるかもしれない。
そこが独創性の源泉で、あらゆる偉大な行動の出発点なんだから。
群衆の中の個であるすべての人にそれが今備わっているわけです。
更に「理想」を描く時に、この宇宙はどういった方向に進んでいるのか、宇宙の意図・意志・真理を考察し、そこに理想を融合させていくと「命(めい)」に通じるのではないでしょうか。
(つづく)