実は6月上旬にとても気になる「文章」に出会った。
はてな匿名ダイアリー&ブックマークで話題になっていた
「ちょっとお高めのお寿司屋さんから一言」というタイトルの投稿です。
私は単純に、絶妙にターゲットの心理を揺さぶる(逆撫でる)文章書くなぁ…と
その絶妙具合に感心していた。
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あと妙にアンバランスなのも、きっとわざとつけた「ひっかかり」なんだろうけど
気になるよね。
タイトルの「ちょっとお高めのお寿司屋さんから一言」の「お」の入れ方~
煽りだとしたら煽りの技術力半端ねぇ~
私はなぜかこの文章が気になっている。
ここに,、私の興味事に関わる重要な情報が込められている気がした。
なかなかに味わい深い短編である。
- ①「間>人」の力関係 が如実に語られている
- ②我々は未だに王族・貴族の高い身分に憧れているのか?
- ③私たちは何にお金を払っているのか?
- ④荒神様化や批評家となった「お客様」に社会が疲弊気味
- ⑤我々の幻想と期待をぶった斬るロックな文学
①「間>人」の力関係 が如実に語られている
私がカタカムナの解読をしながら手にした
空間に存するものを支配している「マカ(間の力)」の考え、
間>人という『間の優位性』について。
この”ちょっとお高めのお寿司屋さん”の文章にそれが示されている気がしたのだ。
この「お高めのお寿司屋さん」は、自分たちが提供しているモノが「投資的価値ある空間」だと最初に述べてくれています。
”この「各分野のトップや大物、勝ち組、生まれが抜群にいい人達の社交場」としての空間を創るために食材~内装外装まで尋常じゃない予算をかけている”と
それがわかる、その投資、その空間に見合う人だけが
その場に入り空間を共有する資格がある、のだと。
場の創造者=空間の主に場の支配権はあるので
その空間に入る人、空間の一部になる存在を選ぶのも当然です。
で、私の興味はその先にあるのです。
すべての空間にこういった
「空間の主の意思・意図・支配」があるんじゃないか、
家や人や店とか主がわかりやすい空間だけじゃなく、
「全ての空間に」「全ての諸空間にそれぞれの」主がいる。
それは人ではなく、空間自身の意識だったり、その上なる存在かも。
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まー今回「ちょっとお高いお寿司屋さん」の件は
カジノ(場)と胴元(空間の主)みたいかものかな?
②我々は未だに王族・貴族の高い身分に憧れているのか?
この文章を読んで
- 貧乏人が頑張ってくるところじゃない
- ある分野のトップや大物、勝ち抜いた人、生まれが抜群にいい人らが価値観を共有する社交場
というような表現から「あっ」と思った。
我々は太古の昔から今もずーっと
王族・貴族のような高い身分に憧れているのかと。
超えられない血筋の壁が「怨み」や「嫉妬」「憧れ」と混じり合って
現在も「高い身分(選ばれし特別な存在という地位)」を手に入れようとしており
その身分・階級分けのわかりやすい指標が「経済力」なわけっすな。
③私たちは何にお金を払っているのか?
この「ちょっとお高めのお寿司屋さん」が親切なところは
席に座るだけでウン万円かかる”高級店”の高額な部分ってのは
「空間代」だって直球で教えてくれているところです。
お寿司のネタでも職人の技術力でもなく「空間への投資」だと。
楽しく食事を楽しむ、美味しい食事を楽しむ為なら
他にもっと「あなたに合ういい店がある」だから
「あなたに合う一流店を探せ」とまで言ってくれている。
確かに高級でなくとも「美味しいお寿司屋さん」は
日本全国にたくさんあるし、居心地のいい店もたくさんある。
「お客様は神様です」がもたらしたお客の荒神様化もあって
これからは「なじみ客優先」という店が増えるかもしれないですな。
地元の旨い店探し、行きつけの店を持つがスタンダードになるのかな。
美味しいモノを食べて、楽しいひと時を過ごして
”いい気分”になり満足感や幸福感を味わう為に
お金を払っているという原点に返って
賢く経済活動に参加せねば(‘~‘)
④荒神様化や批評家となった「お客様」に社会が疲弊気味
最初にこの「ちょっとお高めのお寿司屋さん」は述べている
特にGoogleマップやTwitter等で好き放題かかれている方へ
日頃の感謝を込めて特に多い2つのご意見に返信させて頂きたいと思います。
つまりは、「その人たち」への返信なのだ。
加えて、最後の〆の文章を読むと
今の社会で偉くなりすぎた「お客様」という巨像の虚像に
対応するすべての人が疲弊しているんだなぁと…
なんで、こうなったんや?
どうしたらいいか分からないけど、
とりあえず「おもうまい店」を見ようと思う私です。
子どもの頃に通った地元の店を思い出すんですよね。
⑤我々の幻想と期待をぶった斬るロックな文学
なんかもう、「頑張ってお金を貯めて高級店へ行く」って
それがお祝いだったり記念日だったりしてさ~
我々庶民からしたら「いい事」「美談」な気するじゃないっすか。
それを正面からぶった斬ってくる、この文章。
最高にロックで最高に文学じゃない!?
多くの人に嫌悪感・不快感・怒りをかうことも承知で書いてるし。
お金さえ払えば誰でも歓迎じゃねーんだよ!
ちょっとお高めの店は空間に合う客を選ぶんだよ!
ネットに好き勝手批判を書いてんじゃねーぞ!
という、高級店で働きつつもどこか荒くれ者の下品さもにじむ文章が
私の心を掴んで離さないのです。
読ませる文章、書けるようになりたいわぁ。