ホントだ、言われてみれば…「善党」という言葉は無いな。
「悪人は必要の前によく団結する、団結力を持っている」
と言われ・・・なるほどなぁと思った私です。
安岡氏の考えに学んだことの方が多かった。
でもこの1冊に出会えてよかったと思える1冊。
さて、この本の中で
「悪」というものについてはこう書かれてる。
不幸にして人間の世界には
「悪」というものの存在を免れることはできません。
まず先にこう書かれている。
もう存在を認めて、つき合っていくしかないのだ。
もう「在る」わけで、
人間の歴史と同じだけずーっと「在る」わけで、
そうなれば「悪とは何ぞや?」「善とは何ぞや?」で
悩んでいるよりも
「自分が「悪」とどう付き合うか?」が大事とも教えてくれた。
悪に対する己の在り方(態度)が大事だって!
この悪に対する在り方も突き詰めると5つの型しかなく
そのあり方で人間の成熟度もわかるようだ。
ここは次回にでも書き残したいと思う。
今日は私が「なるほど!」と思った安岡先生の語る
『悪がはびこる理由』を紹介したい。
悪人は団結し悪党となり力を増す
悪人というのは「群れ」の力、組織の力を知っている。
人間が社会性を持つが故に栄えたことから考えれば当然か?
野生動物でも群れを成して
集団の力で危険から身を守っているから
悪人というのはサバイバル能力が高いのだろう。
いや?
理想論の世界よりも欲と本能と
生き残るためのサバイバルの世界に生きているからなのかも。
どっちにしても「人が集まり団結する」優位性を知っているのだ。
社会の中では「大勢のYES」の叫び声はいつの間にか社会の常識になりやすい。
もっと言えば100人の人がいて
悪党99人が是とし、ひとりの善人・賢者が非としても
その小さい社会では悪党が是とするモノが「正しい」となるのだ。
善人は内省的で引っ込み思案
安岡氏は善人についてこう書いている。
善人は団結力がない上に
反省的で引っ込み思案であるから
(悪党とぶつかった時)
自分の方が悪いのだと考える。
善人は「自分にも悪いところ、至らぬ点があったかな」という
内側の思考にいってしまい、自分の改善すべき点を探しに走ってしまう。
しかも集団 対 個であればなおさら
常に自ら引いてしまい
悪党に道を譲ってしまうのだ。
頑張ってよ、善人たち!
悪党と善人の闘いの歴史
悪人は団結力を持っている。
そこで善人と悪党が喧嘩をすると
どうしても善人が負ける。
善人は団結力がない上に
反省的で引っ込み思案であるから
自分の方が悪いのだと考える。
これでは、はじめから勝負にならない。
とはいえ「悪が栄えたためしなし」なんて言葉もあるくらいですし
「時間は正義の見方で悪の敵」とも言われるように
善人も悪に対して立ち上がるのです!
歴史的に見ても
昔からの物語や小説を見ても
悪は善によって成敗されるのです。
ただ善人は「自分が悪かった」と折れつづけ
悪が肥大化したところで
堪忍袋の緒が切れて遂に立ち上がる!
遅い!
遅いよ!
悪党もパワー増しちゃってるし、
善側はダメージうけまくっちゃてるから・・・
故に大きな戦いになり苦労の末
やっと悪を成敗する。
無駄が多い!
初期に叩いておけば要らぬダメージを受けなくて済むのに(><)
と考えられるのは私の半分が悪であるからでしょう。
自分の中の悪を飼いならし善側に調整する
悪の存在を免れず、悪とつき合っていくしかないというならば
世を捨て「100%の善人」を独り粛々と目指すよりも
自分の中の悪を飼いならし
必要な時の戦闘力にしつつ
普段は善側で自分を調整していくのが賢い生き方ではないか。
と、50%悪な私はつくづく思うわけです。
基本的には素早く厄介な「悪人、悪党」を察知し
距離をとる(関わらない)作戦ですが
自分の領域に入り込まれた時は
全力で追い出そうっと。
爪と牙は無くさず、いつも磨いておこうっと。
とりあえず
やたらと群れたり、やたらと団結力を強調する人の群れには
気を付けるべし!ということはわかった。
悪はよく団結し悪党となるが
善人は群れないだから。