あっ、もしかして…と思い当たることが。
トートの教えと古神道の教えは「同じ」ことを違う角度から示しているだけでは?
我々の魂ってのは成長過程を通して
いずれは「恒星」レベルの振動波(波動)を持つようになるってのか?
実はこの話の展開は「波動の法則」書籍からも、
古神道関係の書籍からも読んで知っておりました、私。
(最近知ったばかりだけど)
光を乞う側ではなく、光を放つ側に成長しなさいという示しだろう。
自ら光を生む存在になれ、と。
そもそも「日の子」なんだから、と。
トートは「光の子」として目覚めよ、といい
古神道では「神の子孫として神性に目覚めよ」という。
そして、トートは「常に視線をここに向けよ」といいます。
↓
”汝の目を宇宙にとあげよ”
”汝、汝の目を光にとあげよ”
宇宙を見つめ、何を悟れというんでしょう?
目を向けるべき光はどこにある光のことでしょう?
⇒私の予想では「これら」を思考・考察することが大事ではないか、と
こうしてトートの話はどんどん深く潜っていくことに。
(つづく)