あともう少しで「そうか!」ってなりそうだけど
今はトイレでいきんでいるような状態の理解の苦しみにある私です。
”全空間を通して存在する「時間」は
円滑なる律動運動を以って流れ、永遠に不変状である”
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”時間は変化しないが、
すべてのモノは時間の内にて変化する”
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”何故ならば、時間は適切なる場に分離する各々の事象を保持する力だから”
という怒濤の時間の神秘(正体)の暴露に続き
ウナルの住者は「時間と私(我々)」の関係についても話しだした。
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「私が時間を通して動く」とは、
どうやら「私が時間を通して変化する」ということっぽい。
その私の動き・変化というのは
「私の意識の動き」=「意識を向ける方向の変化」で、
その時 五感で認識する「事象の変化」に
私は「時間の変化」を勝手に感じてるのか??
本当は時間は不変なのに…
「時間」って変化を写す鏡なの?
私は「時間」という鏡を通して事象を見てるの?
なんてことを考えてると、
主は変化どころか「パラレルワールド」を思わせる話をしだした。
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私、分離してるの!?
世界分岐によって? 私の選択によって?
”すべての存在する時間に於いて”
ってどっちの意味なんですかね?
A:私が存在するすべての時間(分離した私が存在する各々の時間)に於いて
B:「すべて(一なる者)」が存在する時間に於いて
どっちにしても「私も一者(一なる存在の分霊みたいなもの)なり」ってことでいいのかしらね(^^;
「一なる想念」と「私の意識」
「律動運動する永遠の時間」と「私の変化」
「一なる想念」と「私の意識の変化」
なんか繋がりが見えてきたような…う~ん、この。
(つづく)