まーそうだよね、そうだよなぁ(納得できる)
「そうなる様にできてる」んだけど、選択はできるよって話
「与えられる恐怖」と「自己内で不安から発生増殖する恐怖」、
この魂を暗黒に拘束・束縛する『恐怖』に囚われず
常に目を開け光を見よ!そして束縛から解脱せよ、とトートは云う。
恐怖の正体は「無知・無明」+「(この先への)不安」による悲観かな、
と私は勝手に解釈しました。
トートは続けてこう語ります。
『汝の束縛を払い除けよ、而して光輝く日の光の中を歩くべし』
『決して汝の想念を暗黒に転ずること勿れ』
⇒『然らば、汝は必ずや ”光と一体”とならん』
目線や想念を「光に向ける」か「暗黒に向ける」かで
人というのは生き方も人生も目に見える現実も180度変わってしまうってことかな。
そんな「人の性(さが)」をトートはこんな風に言い切ります。
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これは真理なんじゃないか、と私は思っております。
『人はただ己が信じるもののみに成る』(信じたもののみにしか成れない)
これはもう「そうなっている」としかいいようがない人間の仕様でしょう。
「何を信じるか(=何に成るか)」の選択はできる点が重要ですよね。
その選択権・決定権は常に「自分」にあるのです。
だからこそ知識と知恵をつけて思考し、他に惑わされなず
「信じるモノを見極める」ことが大事になってきますな。
常に思考のセンターに「無空」と「この世に唯一絶対はない」と置いておけば
暗黒の手下(詐欺師、嘘つき、洗脳師、悪人)たちの誘導に惑わされにくくなるはず。
光の道=正道ってのは意外と自分の心に尋ねれば
道を間違う事ないのかもしれませんね。
(つづく)