深夜の「不思議体験」徘徊で見つけた哲学A君の話が
偶然にも五智の1つに至る修行法を示してくれていた(ありがたい)
曼荼羅の解読に遠くから挑んでいる私ですが
まさに「求めよ、さらば与えられん」的に出会った
哲学A君の悟りに近い体験談!
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日々修行に励んでいる私
大いに参考にさせていただいております!
日々生きる「心構え」的にも使えるA君の話を
自頭でも考えながら見ていきましょう☆
「知識」と「経験」を融合させていく作業をはじめた
「人生の意味」「人生ってなんだ?」
というドデカい疑問を解くために勉強に励んだA君。
勉強で得た知識だけでは、結局は
「他から得た文字情報でしかない」と気が付きながらも
その有効性と重要性も感じたという。
そこでA君は次の手に出る。
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デキる!デキる奴やで~哲学A君
なんか思考に無駄が無いっつーか、隙がない感じがちょっと怖くもある(^^;)
さらに、心にズドンとくるこんな言葉を言い放ちやがった(><)
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”人生は経験の集合体”
知識⇒経験⇒感覚に落し込む
きっとこの作業が大事ってのはBBAも薄々感じてきている。
第一の障壁:その知識は本当に正しいのか?
知識と経験の融合作業に取り掛かったA君
さっそく問題点・不備に気が付く…
経験したことに、今まで勉強して得た知識をリンクさせていく。
でも、そもそも「その知識が間違っていたら?」めちゃくちゃだ!
更にA君はこんな鋭い指摘もしている。
宗教の聖典でも どこかの時代に
政治的意図で内容が改変されていることもあるし、
翻訳が違っている場合もある。
※上記ブクマリンク先より
更に根本的な問題
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”正しい”とは何か?
- 本に書かれていることが必ずしも正しいとは限らない
- 昔ながらの名著が嘘つきで、その辺のおっさんの語りが真実ってこともあるかもしれない
- 翻訳者の解釈や意図が原作者の意図とずれているかもしれない
など問題点は多く、不安定なのだ。
BBA的には「昔ながらの名著」というのは
「時間」×「生きる時代背景が異なる多くの人」により吟味され
それでも評価されているから かなり信頼できる情報ではないかと思う。
少なくとも心に頭に留めておいて損はない情報のはず。
哲学A君が出した答え:基本となる思考法
「知識」と「経験」の融合作業における
第一の障壁:その知識は本当に正しいのか?問題
この難題にA君は自分がどう向かうか姿勢をこう決めた。
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すべては「仮説」で「可能性の1つ」とする私の姿勢も間違ってないやん!
と元気が出た私です。
全ては「その場の一時的な量子状態にすぎない」って見方とも似ているかな。
この世に「完璧」「完全」は無いし、
「絶対の真実」は無いとする…般若心経の説教にも似てるね。
BBAもこのA君の基礎となる思考姿勢を真似ることにした(パクリBBA)
しかし、第二の障壁がすぐに襲ってくる…
つづく。