日常生活が禅修行~ということで「一日一禅」習慣をはじめているBBA私です。
常に心を平安な状態に保つために取り組んでおります。
そして、ふと思いつきで手を出した「般若心経」に圧倒されてるわけです。
論語とか「本」をイメージしていたら
たった262字だった般若心経…正直なめていた。
なんだ、こんなんすぐに解読できるわ~
「どんなことが書いてあるのかな?」と読みはじめると…
やんやこれ!!!
262文字に込められた意味(世界の真理)が
巨大かつ深すぎて底が見えない…
でも、無知を自覚したBBAは強い!
地道に1節づつ解読していくことにしました(^^)
でも、それも「今の私の理解」なので
たぶん1年後の理解はまた変わってるはず。
終わりなき修行に手を出してしまったかも…
般若心経:① 観自在菩薩
第一節目は「観自在菩薩」です。
般若心経は「ここ」からはじまる。
◆観自在菩薩とは?
般若心経は観世音菩薩が悟ったことを
弟子の「舎利子」に語り説く形式で進んでいくので
先に語り手の存在を差しています。
観自在菩薩=観世音菩薩 様のこと
観自在菩薩様とは
どんな存在なのかを文字から読み解いていきましょう。
全ての漢字と名前には意味が込められていますからね。
「観・自在」とは?
まずは分解して解読を積み上げていきましょう。
「観自在・菩薩」⇒「観・自在」ここから
◆観とは?
観察の「観」⇒物事を観る、観察する
◆自在とは?
束縛が無く、自由な状態
心が煩悩の拘束から解かれ自由な状態
◆観・自在とは?
自分の思い込みや感情、認識に囚われず
物事を「ありのまま」に見ることができる
と、今現在の私は理解しました(^^;)
「菩薩」とは?
せっかくなので「菩薩」についても
「菩薩様でしょ」と流してしまう前に
しっかり見ていきたいと思います。
ここではじめてBBAは自分の間違った認識に気がついたのです…
⇓
菩薩のイメージ
菩薩様=神に近い凄い存在
とBBAは認識しておりました…
でも、どうやら「菩薩」とはそうではないらしい。
“悟りを目指す人”を指す言葉。
⇓
悟りをめざし、修行に励む人
悟りを求め衆生を救うために修行を重ねる者
つまり、私も本気で「悟りを求め修行を重ねる」道を選べば「菩薩」なのです。
めっちゃ、やる気出てきたぁ!!
「観自在菩薩」とは?
自分の思い込みや感情、欲、認識に囚れずに
あらゆるものを観ることができる
悟りの修行を極めんとする者
⇓
その「観世音菩薩」様が般若心経の中では語り手として
まずは存在を示してくれるわけです。
◆「何ごとにも囚われずにモノを観る」とは?
善悪、幸不幸、有無、美醜そういったモノを
二元に分けて見ない・区別しない見方のことらしい。
・善でなければ悪
・幸せじゃないから不幸
・見えるから有る、見えないから無い
そういった「モノの見方」に囚われないで
ありのままにモノを観ることができるってこと。
◎例えばこんなこと
お金でも財産でも物でも
多く持つから「豊か」⇔ 少なく持つから「貧しい」
これが二元論の見方
でも実際はこういったことじゃないですよね。
今の私の理解はここまでです。
とりあえず1節解読するだけでも
けっこう大変(--;)
明日からは観世音菩薩さまの教えに触れていきます。
わくわく