プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【イライラ社会を生きる】BBAの精神修行:幽霊が見えたら無視する(恐怖や不安への対処法)

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「幽霊が見えたらどうすればいいか?」

“幽霊が存在する”という観念を強化せず、

ただただ無視してそれに関心を寄せないことが大事なという。

これは、恐怖や不安の対処法にも通じるお話だった!

 

 

イライラ社会を生き抜く私の教科書

 

 

 

“それ”は在る

“それ”は在る

 

 

「それは在る」を読み

西洋思想側から禅の世界を覗くことにより

より理解しやすくなったのでおすすめの1冊です。

 

今回は「幽霊が見える人に遭遇したら?」

または「幽霊が見えたらどうすればいいか?」

この問題から不安や恐怖についての対処法へ

 

 

幽霊が見えたら無視すればいい

実に簡単な解決法だ。

 

「幽霊」という存在は

「幽霊が存在する」という観念がある人が見る、

幽霊を見た人の世界の登場人物にすぎない

というのだ!

 

私も数々のホラー映画を観ながら感じていた。

西洋では悪魔に苦しむ人の存在が描かれるが

東洋では悪魔を見る人は少なく、

悪魔よりも幽霊や悪霊の方が恐れられている。

 

だからたぶん、悪魔は悪魔の存在を信じる人や

意識している人の世界にしか存在しないんだろうと

私も思っていた。

 

だから、幽霊が見えたら

「幽霊が存在する」という観念を強化せず

静かにその観念を捨てればいいんだって。

 

ただただ無視して現実世界を見る。

だただた無関心でいることで

「幽霊が存在する」という観念を解除し

自分も幽霊も解放してやれるんだって。

 

変化という幻想世界と私の観念

「ただただ観念を無視して現実世界を見る」

この部分、ちょっと補足がいる。

 

現実世界とは何か?

自分の観念無しに「在りのままの世界」を見ること。

自分の解釈も判断も無しにただただ見つめる。

 

これが非常に難しくて

これができればそもそも「禅」の修行終れる段階。

 

「変化する幻想世界」に私たちは生きていて

その世界を区別・分別・判断によって

どんどん細かく分断するのが「私の観念」だという。

 

自分と他を区別し境界線を持つことで

「私の存在が確立する」ため私の自我が満足するようだ。

 

幽霊が無視できない場合は「幽霊」に深入りしない

とはいえ、しっかり見えちゃってる幽霊を無視できるような人には

そもそも幽霊は見えないはずなのでBBAは考えた。

 

見えるモノは見えちゃうので

「幽霊がいるな」で思考を終わらせ

それ以上深入りしないとこにしようと。

 

  • なぜ見えるのか?
  • どうして私に見えるのか?
  • 私に何を訴えているのか?
  • 何かされるのか?

 

といった疑問や恐怖や不安へと思考をすすめない事が

一番だという結果に至った私です。

 

あなたにはあなたの、私には私の人生がありますから。

といったスタンスでいこうと。

 

感情を動かされないようにすればいいんじゃないか?と。

そもそも死んでる人の霊よりも生きてる私のエネルギーの方が強力だしな。

 

幽霊も不安も恐怖も同じ

実体はないけど

自分には見える、感じる、気になる

そんなものへの対処法は同じなのだ。

 

この世界は「変化する幻想そのもの」なのだから

私の解釈や観念を強化せず手離せばいいのだ。

 

そうすれば現実が見えて

「どう行動すればいいか」だけが見えるようになるのだろう。

 

感情や解釈や認識を覗いて素直に世界を見れば

複雑な世界から解放されるんだろうね。

 

なるようになる

どうせ、なんとかなる

この心構えが大事な気がする。

φ(..)メモメモ

 

そしてこの「ただただ無関心により観念を手放すこと」が

真の赦しにつながるそうです。

 

この続きはまた今度(^^;)

では、また~☆

 

 

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