現代のイライラ社会を生き抜くために
武士道と禅の精神に学び精神修行中のBBA私です。
今日は仙人からの言葉で特にガツンときた話です。
ぶれない、折れない、柔軟で強く
周囲に影響されない心を持つためBBAが修行で使っている書がこちら
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◆新渡戸稲造氏の時代を超え愛される名著
必ず、武士道を通ってから
禅の道に踏み出す方がいいよ
変に妄想ポジティブ主義や思想依存みたいにならないはず
んで、BBA的に禅の世界を感覚ではなく「理屈」で
学べる良書だと思うのがこちらの1冊
もう「悟っちゃった人」の格言じみたものばかりだったりすると
自分の理解に落し込めないBBAですが
こちらの本は仙人とマンツーマンで問答形式なので
自分でホントに修行受けている感じで「そういうことか!」にたどり着けます。
では本日の学びを書いていきます。
多くの人は「ただ答えが欲しい」だけ
「それは在る」で仙人に学んでいたら、
仙人がこんなことを言い出した。
人は教えを学びたいとは思っていない
ただ答えが欲しいだけなのだ
“それ”は在るより
「答え」…答えって何??
バカな私はちょっと思考の渦にのみ込まれてしまった。
でも、確かに私も「正解」を求めていた。
- 正解のやり方を求め
- 先に「答え」を知れば近道できる
- すべてのことに「答えや正解」がある
ような気がしていた自分に気が付いた!
その理由は、ものすごく素直に偽りなく答えれば
- 楽したい
- 失敗したくない
- 苦労したくない
この3つなのです(我ながら…ダメ人間の思考の典型や!)
こうして仙人の一言で大事なことに気が付きました。
「答え」だけを探しているうちは絶対に見つけられない
更に仙人はこう言い切った。
答えだけを探しているうちは
その者は答えを見つけ出すことは
けっしてできない
“それ”は在るより
こう言い切るだけの理由と確信
それは、この言葉の後にこう書かれていた。
なぜなら、
学ぼうとしないからだ
“それ”は在るより
答えだけを求めても意味がない
人から教えてもらった「答え」は真の答えになっていない?!
「学ぶ」ことで、実際に自分で答えを見つけだしたり
答えを創造することにこそ意味がある様です。
ちゃんとその仕組みや構造や背景を理解した「答え」でないと
使いこなせないし、自分の能力で見つけた答えでないと
真の理解に到達しないってことか…
BBA考案:「ただ答えが欲しい」から脱する方法
「そもそも絶対的な答え」は存在しない
「そもそも答えなんかどこにもない」
と心に書き留めてしまおう!
歴史上の偉人も先人たちも
みんな悩みながら、いろいろやってみて
「結果的にそうなった」だけ
歴史的に見ても、
政治的に見ても、
上の人(?)偉い人達は
大失敗を繰り返しているではないかっ
学校のテストのように「唯一の答え」を書かなくちゃ!
という変なプレッシャーや思い込みを今日で捨てようっと。
答えを創造できるBBAにならねば!
もがいて生きることも「正解の1つ」
美しくも、かっこよくも生きれないけど
「なんかいろいろもがいてあがいてみたら経験値上がってた!」
というアホな生き方こそ楽しいのかもね。
ちょっとBBA的にテンションあがってきたぞ!
仙人と一緒に酒を飲みたい私です。
では、また~☆